二階で英語の講義を聴いていますと、日本では“It is a pen.”と教えますが、それはだめで“It's a pen.”と言っています。そのように非常に教え方が実際に即したやり方で、ああ、これはいいなと思って、日本の教育もこのようにすればいいのにと思いました。“That is”とは言いません。“That's”という教え方をやって、フランスの若い男の子で全然英語ができなかったのが、1カ月もして下船のときには英語がもう上手になっていました。「ミセス伊東は英語が上手かと思っていたらそうでもないね」と笑っていました。そういう楽しい35日間の船旅でした。
この船は、ちょうどスエズ運河が封鎖された時で、南アフリカを経由しました。南アフリカのダーバンに着いたとき、食堂の同じテーブルのハジペトロ夫人とその息子がダーバンで降りるということで、お別れの食事の会をシーサイドホテルでやろうではないかとアメリカ人たちが提案しました。それでは私も行きますと、午前中あちこち見学したあと、12時にシーサイドホテルに集まる約束をしました。市場を見学の後、さあ、行かなくてはと思ってタクシーを探しました。
タクシーがありましたからそこに行ってタクシーに乗ったら「ノー」と言うのです。「このタクシーはインディアンタクシーだ。お前はユーロピアン・タクシーへ行け」と言うから、“I am Japanise. Indian taxi, I don't mind.”と言っても「ノー」と言って絶対に動かしてくれません。仕方がないからユーロピアン・タクシーはどこかと言うとあそこのコーナーを曲がってどことかと言いますから、言われたとおりに行ってコーナーを曲がって行きますと、向こうからサーッと一陣の風が吹いて、私の黒いコートはバーッと後ろにひるがえりました。
そのときだろうと思うのですが、ダダダダーッと走る音がして、何か周りでちょっと騒ぎが起こりました。私は黒いコートのポケットに赤い財布を入れていましたが、もしかしたらと思って手をやったら財布がありません。ああ、やっぱりすられたのかと思って、ちょうど、向こうから白人男性が来たから私の言葉が通じるかなと思いながら、まあ言ってみようと思って“I lost my purse.”と言いました。
そうしたら男性が“Really?”と言ってびっくりして、とたんに私の周りはワイワイ人だかりがしました。私は「シーサイドホテルに行かなくてはいけないから急いでいます。」と言うと、「ウエイト、ウエイト」と興奮したみんなが言う。「ウエイトはできない。もう行く」と言っていると、その騒ぎはちょっとした高級な紳士専科の店のまえでした。ご主人が出てきて、「まあ、私の店にお入りください。椅子におかけください。いまサムワンがピックポケットをキャッチしに行っていますから、間もなく戻ってくるでしょう」と言いました。