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同室のおばあさんは、幼稚園の先生でしたが、張り切って私がまだ眠っているのに朝早く起きて自分の荷物をゴソゴソ出して、こっちのドレスとどっちがいいだろうと私に呼びかけるのです。“Which one do you like?”と言って、私は寝たまま「あっち」とか言って指を指すと、それに沿って下着とか靴とかアクセサリーとか全部そろえて、さあ、どうぞと、まるで召し使いを連れて歩いているような感じでした。

そのおばあさんの服を借りて楽しくやっていましたが、泳ぎたいと言ったら水着も貸すと言ったのですが、そのおばあさんは太っているのです。これもベルトで締めればいいと思ってごまかして着ていたのですが、水着は水の中でプールで一かきするとバストがモロに出て来ます。水着はやはり窮屈なのがいいのだと初めて悟りました。

借り着で通して皆さんのご親切に触れて、ひょうひょうとした船旅をした思い出があります。とても皆さんの人情に触れて楽しゅうございました。それが1979年のことでした。

それから今度はイタリアの“ガリレオ・ガリレー”。1970年ですからもうだいぶ昔ですが、まだクルーズが少なくて移民船が走っていました。イタリアのジェノバからオーストラリアのシドニーまで定期航路として移民を乗せて走っていました。そしてそれはファーストクラスは人が大変少なく、功なり名を遂げた人がヨーロッパに帰って故郷を訪ねるという人たちです。それからツーリストクラスはいまからオーストラリアに出稼ぎに行くという移民ばかりが、たいへんな混雑でツーリストの方は定員オーバーしているとキャプテンが言っていましたが、そのくらいたくさん乗っていました。

そして船の広い講堂には二階席があって二階席がファーストクラス、一階席がツーリストクラスとなって、それは映画室に使われていましたが、そこで毎朝、移住する人のために英語の会話の勉強会が朝10時から2時間ぐらいありました。私もいつも出ましたが、私はそのとき背伸びをしてファーストに乗っていましたので、2階は私がたった1人。キャプテンがこの船の特徴はファーストクラスはオールスピーク・イングリッシュで、ツーリストクラスはノースピーク・イングリッシュと言っていましたが、ファーストクラスで英語ができないのは私一人でした。

ギリシャ語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語などいろいろな国の若い人たちが「私は時計の修理の技術があります」、「私はコックの資格を持っています」、「大工です」と、そういう人たちがたくさん乗っていて、そんな人たちとも仲良くなりました。

 

 

 

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