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“オセアニック”というイタリアのホームラインの船で3万9241トン、プールの上の天井がいまの野球のドームみたいに開閉式になっていて、そのころとしてはそれは画期的なことで、「伊東さん、絶対その船の天井を見て来てください」などと船に詳しい方たち皆さんに言われました。大阪の宝石商をやっていらっしゃる増田さんというご夫妻と一緒に出掛けました。

増田さんは私の貧乏と違ってホテルはスイートルームしか泊まらない。船もスイートルームしか泊まらないという方で「伊東さん、あんたもたまにはスイートに乗りなさいよ」と言われて私も背伸びしてスイートに乗りました。「私の知った人がフロリダの幼稚園の先生をしているから、その人と一緒の部屋でいいだろう」と言うので「ああ、いいです」と。それで生まれて初めてスイートに乗ってみました。

私は、日本からTWA機でニューヨークへ飛んだのでしたが、シカゴで乗り替えの時、大型スーツケースがなくなりました。しかたなくニューヨークまで手ぶらで飛んで、ニューヨークからも手ぶらのままイタリアの豪華客船のスイートルームにおさまりました。タラップのところでお荷物をどうぞと言われても、お荷物の渡しようもないし、本当の全くの手ぶらで乗りました。

そしていまはカリブ海クルーズはどこに行ってもドルが通用しますが、そのころはドルが通用しませんでした。マイアミはドルが通用しますが、フランス領に行くとフランスのお金、こちらに行くとスペインのお金というようにドルだけを持って行くとコカコーラの1杯も飲めなくて、非常に喉が渇いた経験もありました。

私はその船に乗って荷物はないし、本当に夜も眠れませんでした。だいたい船に強いほうですが、デッキを歩いていて、船がローリングしたときにムカッときたのです。ああ、これは睡眠不足で船酔いだな、これはいかんと思って何とか気分を変えなくてはと思い、プールで泳ぐことにしました。泳げばたいてい船酔いは治ります。そして泳ぎながら考えました。ああ、そうだ、足を1本無くしたのではない、荷物でよかったと心を切り替えました。スカッとしました。そこですべての服は借り着で通そう、クヨクヨしたって始まらないと、夜のウエルカム・パーティーには増田さんの奥様のロングドレスを借りて行きました。

私のルームメートはパーティーの時に、私が荷物を失ったことをみんなに話したのでしょう。翌日から廊下やデッキで会うと「あなたですか、日本の方で荷物を無くされたのは」と皆さんがルームナンバーを書いて、「あなたと私は服のサイズが同じで合うようですから、どうぞ私の部屋に来て何でも好きなものを着てください」と大変ご親切でした。やはり小さいときから教会に通っていると、あのように人に恵みを施す気になるのかしらと思いました。

 

 

 

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