食品とは食べ物になる以前のものを食品と言います。食品を調理することによって食べ物になるわけですから、食品は人の命を左右する大変大切なものであると思います。食べ物で大切なことは先ほども申し上げましたように安全であることです。それからおいしいこと、栄養に富むこと、また欲を言えば主婦にとっては安く手に入ること、そして調理が簡単であれば、こんなうれしいことはありません。
そういった食品ですが、食品は大ざっぱに分けると植物性食品と動物性食品に分けることができます。植物性食品は穀類、主食の類と副食の野菜類に分けられますが、動物のほうは畜産物と海産物の二つがあります。植物性食品で日本人にとって一番大事なのは米、稲です。日本の農業は稲に代表されますが、日本人は縄文・弥生時代から稲の栽培に携わり、2000年の今日まで稲作は連綿として受け継がれております。
地球上に人類が発生したのが400万年前と言われています。そのころは洋の東西を問わず、みんな狩猟と採集の食生活でした。獲物がなければ人は飢え死にするし、木の実を拾うことができなければ、やはり飢え死にということでそのころの生活は飢えと背中合わせでした。
いまから七、八千年前に中国の長江流域で稲作技術が生まれました。人は種が落ちると芽が出てくることを見れば、賢い人ならばこれを栽培してみようという気になります。そうやって稲ができました。それからそのあとインドのガンジス川流域でも稲作が始まりました。どちらもくり船によって日本に流れ着き、くり船に乗るときには人はやはりモミガラなどを持って乗ったことと思います。
陸に行ったらこれを食べ物にしよう、あるいはその土地に住むのならばそこに定住するためにモミを植えて食糧としようと、それぐらいの人間の知恵が働いてモミが日本の国に海流によって運ばれました。日本にそれが伝わったのが弥生時代です。弥生時代は外国から来た人たちによって、日本の稲も外来種から始まったわけです。
そしてインドのガンジス米は細長くてパサパサのお米、長江米は丸くてちょっと水分の多いお米でご先祖の舌がおそらく長江米を受け入れてインディカ米は拒否したのではないかと思います。長江米は日本に入って日本列島の無味無臭のおいしい豊かな水、そして天の恵みの太陽を浴びてとても丈夫な稲に育ちました。ご先祖の勤勉な手も加わっておいしいヤポニカ種ができあがりました。