3-2. 1940年代−福祉国家建設への財政政策の模索−
1941年施行の改革では、オムスと呼ばれる一般間接税が初めて導入された。比率は5パーセントであった。この一般間接税は、当時の社会経済状況から高所得層・低所得層の双方に痛手であるという理由で47年に廃止された。一般間接税が再び採用されたのは、1959年であった。
1946年の税制改革(47年施行)は、高所得層から低所得層への所得の再配分を意味していた。所得税の一部として課税されていた「資産」に関しては、独立させ、「資産税」として課税されることになった。児童のいる家庭にたいする所得税控除つまり扶養児童控除は、高所得層に有利であり、低所得層に不利であった。したがって、扶養児童控除は児童のいる家庭に不平等な税控除であるとして廃止され、これに代わって、おのおの全ての児童に対して一律同額料金が支払われる児童手当(barnbidrag)が導入された。また、この税制改革では、源泉徴収制度が導入された。
3-3. 1950・60年代−直接税から間接税へ−
1950年代、60年代の税制は直接税中心から間接税への移行期であった。
1950年代は、各種間接税(物品税)が引き上げられ、同時に新たな物品税が導入された。例えば、清涼飲料水税、チョコレート・菓子税、電力税などがその例である。50年代を通じて、各種間接税は増税の一途をたどった。さらに、59年には一般間接税(オムス)が再導入された。税率は4パーセントであったが、61年には6パーセントに、次いで65年には9.1パーセント、67年には10パーセントにまで引き上げられた。なお69年に、一般間接税(オムス)は、投資財に関しては非課税とする一般間接税(モムス)に変更された。企業の成長を促進することが目的であった。
50年代・60年代を通じて地方所得税率は上昇の一途をたどった。1950年には平均地方所得税率は、12パーセントであったが、60年には15パーセント弱、70年には21パーセントにまで上昇した。