丹さんたちが目指したのは、介護や手助けを必要とする人に、気軽にSOSを出してもらえるような市民レベルのグループ。そして、人生の終りが幸せな茜色に染まるような地域社会をつくっていこうとの思いを込めて、『湯沢あかねの会』という名称を付けた。
たとえ会を離れても気軽に顔が出せる関係が理想
同会の利用会員の第一号は、丹さんの友人の母親。準備段階で、活動をはじめようと思っていることをたまたま友人に話したところ、「離れて暮らす母の援助を今日からでもすぐに頼みたい」と言われ、発足を待たずに援助を開始したのだという。
「彼女のように、困っているのに声を出せずにいる人は、きっと、たくさんいる。そんな人たちのためにもがんばらなければと、決意も新たになりました。その方の場合は、亡くなるまでの約二年間、身の回りのお手伝いなどをさせていただきましたが、その後は、友人が賛助会員となり、現在も会を支えてくれています。会の主旨に賛同してくれてのことだと思うと、こうした協力は本当にありがたい。