二人の女性は、何やら頭を寄せて楽しげにおしゃべりをしていました。他のもう一人の男性は、ダイニングルームに面している庭を越えて、遠くの山の端に沈みかけている夕陽を、大きな安楽イスに腰かけてじっと見つめていました。あとの二人は、それぞれ食後のデザートのプディングをおいしそうに口に運んでおりました。私はその時の各々が、それぞれに、リラックスしてゆったりと、サンセットタイムをエンジョイしている姿に、口も聞けないほど感動しました。
彼の友人のそのホームの女主人は、六〇歳くらいに見えましたが、朗らかなエネルギッシュな婦人で、ピアノのソナタが終わると、ワルツのカセットテープをかけて、一人の男性を誘って、優雅に、広い床の上を滑るように踊りはじめました。その楽しそうな二人の姿は、とても老人ホームの女主人と入居者ではなく、まったくお似合いのほほえましいカップルでした。私は思わずこれが老いの終の住みかなんだ!! と心の中で叫びました。この時の感動が、私のアメリカでのラストライフを決定したのです。
それから三年後、彼の自宅を開放して、二人でグループホームをはじめました。
四〇〇〇坪近い野原のような庭にある彼の手作りの小さな家で、六人のご老人は四人と二人に分かれてそれぞれ住んでいただき、私と彼は少し離れたもう一軒の家に寝泊まりして、彼らと共に肩を寄せ合って暮らすことになったのです。その当時の私共の様子を、『老いのスケッチ アメリカ老人の光と影』(一九八六年出版)、『アルツハイマーよ こんにちは』(一九九一年出版。いずれも誠信書房)に記し、『アルツハイマーよ こんにちは』は四版を重ねました。それ以後日本からのお招きで、アメリカのグループホームの紹介講演を、北は北海道、南は鹿児島まで、年間四回から五回くらい、文字どおり飛び歩いて今日を迎えました。
昨年の一〇月に長崎県の平戸島に「日本ヒーリング科学研究所」が設立され、グループホームによる福祉の村づくりを頼まれました。どうぞ日本全国のみなさま、私どもの働きがみなさまのモデルケースとなりますように、お見守りください。