だが、人生なかなか甘くない。思惑どおりにはもうからず、六畳一間のアパート生活。自ら若者向けのバーでディスクジョッキー(DJ)をして、妻子を養う日々が続いた。
「それでも盛り場では、店内イベントのアイデアマンとして、結構、もてはやされたんですよ。歌謡曲の出だしで曲名を当てるイントロゲームを流行らせたり、漫画雑誌を一気に引き裂くマガジン・クラッシュや、フラフープゲームや懸垂ゲームなども考案したんですが、これなんかも大当たり。で、お客と懸垂やフラフープを競っているうちに腕を上げたこともあって、このアイデアを店の外でも試してみたくなったんです」
一九八七年、齢四〇を越えて、白装束にプロレスラーのような覆面をし、胸には『?』のマークを付け、『怪人ハテナ』と名乗って、東京原宿の歩行者天国に躍り出たピカさんは、懸垂や雑誌破りのパフォーマンスを披露。これが予想以上にウケた。ハテナが登場すると、観客は千人を越えることもあったという。
「テレビ出演の声がかかり、デパートのイベントにも引っ張りだこ。