二つのルートで出した書類は、半年後、やっと私達の手元に戻ってきました。
それから約2年、機会ある毎に上京した私は、小田原法務局に出かけ、係の方ともすっかり顔見知りになり、「岩山さん、書類は法務省国籍第三課に送ってありますから、安心して待っていて下さい。」と言われるようになりました。
平成3年6月、待ちに待った帰化が認められ、岩山誉士(やすし)となりました。来日以来10年、日本赤十字熊本支部の担当職員の方々、中学、高校時代の先生方、ボランティアの人達に帰化のできた報告をすることができ、多くの人達からお祝いの言葉、はげましのお手紙をいただき、親子共々うれしさが胸一杯になりました。
4年生に進級する前に、日本人として正式なパスポートを持って、ベトナムの地を踏む計画を立て、3人でホーチミン市、彼の故郷を訪問しました。
手紙では連絡は取れていましたが、10年振りに見た故郷、脱出時と一変したベトナム、誉士にとっては一言では言い現せない複雑な気持ちがあったようです。
生家に10日ばかり滞在し、両親、兄弟、親戚の皆さんの暖かい、心のこもったもてなしを受け、老人達とは筆談できたことに、驚きました。