生父母から「私達はホアを産んだだけで、なにもしてやれませんでした。日本のお父さん、お母さん、我が子として立派に教育していただいて、御恩は忘れません。」と言われたときは、手を取り合って泣いてしまいました。
帰る時、私は「お母さん元気で暮らしていて下さい。長生きをして待っていて下さい。息子は偉くなって、親孝行しますから。」と言って別れました。
四年生の秋頃になると、工学部の学生は次々に内定をもらうらしく、彼は電話で「ママアメリ力に留学してもいい?英語の力をもう少しつけようと思って、二年生の時、短期留学した、あの大学に問い合わせたら、入学OKと言って来た。」と言ったり、先日商社の面接を受けたら、僕の経歴に興味を持ったのだろうか、係の人が長い時間質問したよ。手ごたえあったとか、心のゆれを見せていました。私は「留学でもいい、就職もいい、大学院に進んでも言い。あんたが納得できるようにしなさい。2年間は学費は出すから。」と夜半長い時間話しました。
12月に入ったある夕方、一部上場の総合商社の人事部長さんから、直接夫に電話があり、誉士についていろいろたずねられ、夫はありのままを話した様でした。