私は肩をたたいてA子の決心をほめ、夫も「前向きにやろうとするならどんなことでも協力するぞ」と励ました。
私は、日頃親しくしている栄養士の方から資料を借用したり、問題傾向を教えていただいたりした。本人もその気になったが、解答を求める前に問題が何であるか解読することが困難であり、ため息をつきながらペンを離してしまう。受験という峠を越えるために、A子のため息を何回聞いたことだろう。A子自身の知的能力の低さもあるが、その前に石垣の石を一つずつ積んでいくような努力の姿、よき忍耐を親との生活の中できっと見たことがなかったのだと痛感した。そして、夫も私も、里親として日々の生活を支えていくために必要な努力と忍耐を車の両輪の如く大切にして、A子とも、他の子とも過ごしてきたのだった。しかし幼いときに親が努力する姿を見られなかった子どもは、私たちのその「がんばる」姿が身にしみるまでには相当大変だと思いながら、希望を捨てずに生活を続けた。
A子には「石垣は大きい石ばかりじゃないんだよ。小さい石もあるからしっかりするんだ。人間だって小さな努力が大事だよ。だから少しずつでいい。わかるように一緒に積み上げていこうよ」と言って聞かせながら、夜明けを迎えたことが何度も何度も続いた。