夜になると、私は乾燥させた大根葉その他を活用し、念願のふりかけ作りに一生懸命に取り組んだ。
今ならばカルシウムの多い食品をフードプロセッサーにかければすぐ粉になるが、当時はそうはいかず、私の親戚にあった、「やげん」という、かつて薬にするものを粉にひいた器具を手に入れた。そして小魚や乾燥物を粉にする作業を真剣にくり返した。子どももよく手伝ってくれた。早く床についた子どもは、やげんの音を聞きながら眠りについたのであった。こんな明け暮れが血のつながりのない里親子の心の絆を深めていく手がかりになると私は確信した。手間をかけてできた何種類もの粉を大きなボールで混ぜるときの喜びは格別であった。私はコーヒーやジャムの空きびんを大事にとっておき、完成したふりかけを中に入れ、食卓に並べ感謝した。子どもたちの爪が早く固くなるように真剣に祈った。
寒い冬の夜は、よくふりかけを作り、毎食大さじ一杯ずつ子どもたちのごはんにかけ、食べさせた。ちょうどその頃、父子家庭で、家で一人ぼっちだったという里子が加わった。夜には家族が居間に集まって、勉強したり、縫い物をしたり、食べるものを作ったりしている生活を大変喜んで、夜になると必ず彼は踊ってその喜びを表現して、よく手伝った。