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高校は、大村高校の定時制に通いました。クラブはバスケット部に入り、ここでは4年間部活に熱中し青春を謳歌いたしました。

私が育った家は、先ほどお話いたしましたようにお寺です。高校卒業後の進路を決める時は迷わず僧侶になろうと決心しました。父や母に早く恩返しをしたかったのです。さっそく、長崎県野母崎町にある蔵徳寺へ弟子入りして勉強することになりました。

昭和57年には名古屋の建中寺で2年間の修行・研修を受け、最後に京都の総本山知恩院で加行を行いました。晴れて僧侶の資格をもらい、野母崎町の蔵徳寺に戻ってまいりましたが、あれから18年の年月が経ち、今では里親の家で過ごした時間よりも蔵徳寺での時間が長くなりました。そして、残念なことに私を育て、一人前の住職になるようにいつも応援し、励まし続けてくれた大村の父は昨年5月に亡くなりました。

18年間、蔵徳寺での私は毎朝5時50分に起き、6時には寺の鐘を撞き、そのあと本堂で「お勤め」、7時過ぎには約5kmのジョギング。朝食を済ませると、お寺の経営する幼稚園へ行き登園する園児を迎えたり、近くで交通整理をして登園を助けたりします。そして、9時頃からお檀家の命日参り。これは、町内ばかりでなく、長崎市内や時にはもっと遠くまで出掛けることもあります。

僧侶の資格を取るまでは、お経の読み方や仏の教えを説いた本など師匠から厳しく教えられるのですが、なかなか覚えられずに思わず泣いてしまったり、辛くて、悲しくて辞めてしまおうと思ったこともありましたが、師匠の温かい励ましと勇気付けで何とか乗越えることが出来ました。今では懐かしい思い出となっております。

しかし、一人前になるにはまだまだ程遠く、毎日が修行で勉強の繰返しだと師匠からも日々厳しい指導があります。

嬉しいこともありました。今年の2月、縁あって嫁を迎えることができ、名前を「年子」と言います。

お寺のすぐ近くに家を借り住んでいますが、今は家内と一緒に朝の鐘を撞き、本堂でお勤めをいたしております。仏に仕えるのが僧侶の務めなら家内も一緒に務めたいと言いますので、本堂や境内の掃除も一緒にします。二人でやると張り合いも出ますし、楽しくもあります。

私は、小さい頃から実の両親と離れて暮らし、父親の顔も知りませんが、育てて下さった両親(里親)を始め、多くの方々のお陰で今日の自分があると心から感謝をしております。

これからも、このご恩を忘れず、更にご恩に報いるよう一生懸命仏にお仕えし、社会のために少しでも役立つように努力したいと思っています。そのためにも、夫婦仲良く、明るく円満な家庭を築いていくよう頑張ります。

最後に、全国の里親の皆様、私のような子どもが社会に大きくはばたいていけるように、どうか、その大きな心と手を貸して下さい。

 

〈師匠から信道(随身)へのことば〉

1. 誰にでもよく「挨拶」をし、よくことばをかける。

2. 「挨拶」がよいことで特に檀家信徒の方々から愛され、親しまれている。

3. 檀家の命日参りなどは真面目に務め、遠方でも不平など言わず檀家の皆さんから喜ばれている。

4. 僧侶としての言動について、いろいろ注意をしたり、厳しく叱ったりしても、翌朝は気分を取り直して平常の生活に戻るという気持ちの切り替えが早い。

5. 一人前の立派な僧侶となるよう精進して欲しい。

 

 

 

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