長崎県の中央に位置する諌早市に、住んでいます田山といいます。
今回私達夫婦の体験を発表させていただきます。
私達が結婚してから今まで子供が出来ませんでした。私は子供のいない夫婦は、沢山居るので、それはそれでよいのではと思って生活してました。ですから夫婦間で、親戚や姉妹の子供が生まれた、学校に入ったなどの話しはしますが、私達の子供の話しはしませんでした。10数年前、会社の上司より他所の子を育ててみないかといわれましたが、その時私は自信がなく断りました。
平成4年暮れ、私の母より我が家の跡取りをどうするのかとの話があり、改めて妻と子供の事で話をしたところ、妻はずっと前から子供を育てたいと思っていたが、私が子供の話しをしないので子供が嫌いと思ってたとの事でした。私も40歳を過ぎ経済的にも育てることが出来るのではと思うようになりました。
そこで親戚、姉妹に適当な子がいないか探しましたがいませんでした。その時会社の上司より里親制度があることをききました。
翌5年3月長崎中央児童相談所に行き、男児希望の里親申請をし同年7月認定されました。
妻はすぐにでも紹介してもらえるものと思い、会社を辞め児童相談所からの連絡があるのを毎日待つ日々で、私も会社から帰ると、"連絡はあったか"が当時の合言葉でした。
認定後、研修会に参加して見ると、先輩里親が60世帯余いらっしゃって、児童相談所の担当者の話ですと里親へ委託する児童が1年間に一人から二人との事でした。里親会会長からのアドバイスで事有るごとに、児童相談所に行った方が良いとの事でしたので、早速児童相談所に行き委託状況を聞きましたが、児童は居てもほとんど親権者がおり、里親に預けるのを嫌うとの事で里親に委託するのは団体生活に向かない子か私生児になるとの事でした。また委託児を待ってる先輩里親が一杯居るとの話しで、私達はがっかりして家に帰ったものです。
毎年の研修会、里親会に参加し委託状況を聞きましたが、状況は変りません。そこで、研修会、里親会では必ず質問をし、担当者に名前を覚えてもらうことにしました。ある研修会で質問した時、私達も年をとっているので一日でも早く世話をしてほしいと話すと、委託児希望の範囲を広げてはとのアドバイスが有り、私達夫婦は相談し、平成8年1月相談所に行き委託児希望を女子に拡げました。すると同年3月末頃女子の紹介がありました。それが現在私達と一緒に住んでるM子です。
紹介の時、左耳上に母斑が有り、いつ測ったかわからないが知能指数90弱との事でしたので、図書館で母斑はどういうものか、掛かり付けの病院の先生、友人、姉妹に相談したところ賛成や反対がありましたが会うことにしました。すぐ会いに行こうとしましたが、あいにくおたふく風邪にかかってるとの事で、5月の初め委託されている児童養護施設に会いに行きました。まず園長先生と話しましたところ予定の子供は幼稚園の年少組に通っている、スイミングスクールに行ってる、2歳で施設に来たが半年ぐらい話しもしない気難しい子であった事等。又まだ里親の話しをしていないとの事でしたので、施設に遊びに来た叔父さん叔母さんとして子供に会うことにしました。施設の2階に幼児室が有り5人の幼児が居ました。内4人の子供は親が居るのかすぐ寄って来て誰のオジチャン、オバチャンと聞くのですが、目的のM子は知らん顔で一人寄って来ません。その日は2時間ほど5人の幼児に絵本を読んだり肩車したりしてM子の様子を見ました。