ふだんの平遥は、灰色のトーンで統一されている。家々の高い外壁も、屋根の瓦も、そして道路さえも。だから、まちを行き交う人たちの顔さえも、ときにすすけた灰色に見えてしまう。実際の平遥人は、やさしげな、しり上がりのイントネーションで話す、客好きで明るい人たちであるにもかかわらず。
さて、毎年、灰色のまちが一転、華やかな紅色に彩られる季節がやってくる。農暦(太陰暦)の正月、春節である。年越しの前日である除夕まで、正月準備の品々を売る屋台が、道を埋める。
正月料理の食材や、新年の挨拶廻りに持ち歩く菓子折りなどはもちろん、新年を迎えると同時に鳴らされる爆竹や花火の類いなどさまざまだ。中でも目を引くのが、春聯という真紅の紙にめでたい対句を書いたものを作ってくれる屋台である。こうした達筆な職人が書いたものを買う人もあれば、自分でかく人、知り合いに頼む人、それぞれだ。いずれにせよ、どの家も除夕の昼間のうちに、大街門の両脇に春聯を貼っていく。だから、新年を迎えるまちなみは、真紅の色で一杯だ。紅という色は、昔から魔よけの色であると同時に、おめでたい色であると考えられている。
ところが、ぽつりぽつりと紅色ではない春聯を貼った家もある。三年以内に家人を失った家では服喪の意味をこめて別の色の春聯を掲げるのだ。一年めと二年めは黄色、三年めには青い紙が使われる。そして、四年めに喪があけると普段どおりの紅色の春聯に戻される。大街門は、その家に起きた人生の節目を他人に示す標識ともなっている。
人生の節目といえば、新たな家族を迎える結婚と死者を送りだす葬式が、まず思い出されよう。中国では婚礼を紅喜事、葬儀を白喜事という。めでたい紅に対して、白は葬儀に象徴されるようにあまり喜ばしくない色である。だから、結婚式は徹底的に紅く、葬儀では何もかも白く彩られる。この二つの両極に位置する儀式では、色による演出だけでなく、前号までで述べてきたような、方位や左右、男女や長幼の別が秩序だてられて表現されている。