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8]実際には、簡単にいかず、続いて験者は、ヨリマシに憑依した霊に、「神か仏か」、また人間ならば「生霊死霊か」と尋ね、それぞれの場合に応じて妄執を解くように説き伏せていく。

9]いざなぎ流祈祷全般に関しては、小松和彦の一連の著作、高木啓夫『いざなぎ流御祈祷の研究』(一九九六年、高知県立歴史民俗資料館)『いざなぎ流の宇宙展・展示解説図録』(一九九七年 高知県立歴史民俗資科館』)などを参照。またいざなぎ流の御幣を特集したものに『土佐・物部村神々のかたち』(INAXブックレット 一九九九年)がある。

10]花祭にも、かつて「法の枕」と称する呪具が存在した(豊根村三沢山内)。榊鬼・山見鬼の役を次代の者に継がせるとき、鬼面とともに譲るしきたりの「法の枕」示豆を三升入れた袋)がそれである。また、梅津神楽(静岡県榛原(はいばら)郡)でかつて行なわれた神子(かんご)式(産湯式/産着式/三笠山)では、小豆の入った袋が特殊な役割を担った。

 

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「ほうまくら」の一種(振草糸古戸『花祭』前篇より)

 

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神子式の図(本川根町教育委員会『梅津神楽』より)

 

袋を膝の下に当てて三笠山の真下に座った神子(立願者の子供)の上に、三笠山を揺らしながら降ろし、引き上げると神子式は完了した。この豆袋も、呪能を賦活・継承する、一種の「法の枕」と考えられる(拙稿「呪術と神楽1]」、『みすず』一九九八年二月)

11]花祭の地区によっては、最後の行事を「宮渡り」と称し、行列を組んで神社へ渡り、湯蓋など役済みの祭具を境内の清浄な場所に遺棄して納めた。早川孝大郎は、「宮渡り最後の神上げの幣」(大入(おおにゅう)花祭)のスケッチを残している(『花祭・前篇』)。やはり神社に遺棄されたものだろう。その形状ともども、ミテグラとの類縁性を窺わせている。

 

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12]「下がり」(しで)を三つに、「ちぢ」(刻み)を五つに作った御幣。

13]「塚起こし」については、拙稿「呪術と神楽2]」「同3]」(『みすず』一九九八年三月/四月)で考察した。

14]いざなぎ流の太夫が執行する改葬儀礼も同様で、縁切りの唱文により死霊はまず黒土御墓に集められる。次にあらためて、のりくら御幣の「六道幣」(三五斎幣に当たる)へ憑依させ、新しい墓地へと運ばれるのである。

15]ただしいざなぎ流の「のりくら」は、「御幣」に限定されるものではない。かつて日月祭で行なわれた託宣の「舞降ろし」や弓祈祷などでは、太夫の「頭」、ひいては「五体」そのものが神霊の「のりくら」となる。「乗鞍」としての身体という問題が、ここに浮上してくるのである。拙稿「呪術と神楽6]」(『みすず』一九九八年九月)

16]青柴垣神事全般については、和歌森太郎『美保神社の研究』(国書刊行会)・美保関町誌編纂委員会編『美保関町誌・上巻』などを参照。

17]生き神となるのを象徴するのが化粧で、大棚の神前に出仕の前に、顔を白塗りにし、額と両頬に紅を丸く押す。なおこのあとも、神船と神門での儀礼に際し、それぞれに化粧直しがほどこされる。

18]これら三つの幣鉾以外の神宝にも、御幣は使われている。たとえば神宝類の代表格というべき日像・月像など。日像は金色に三本足の烏を描いたもの、月像は金色に銀で兎を描いたもので、それぞれに光を一二本、その間に幣を六本付ける。

 

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19]この広鉾を含む鉾の神話については、拙著『中世神話』(岩波新書一九九八年)で扱った。

 

 

 

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