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このようにみてくると、いざなぎ流の法の枕とメテグラは、古代的な御幣・幣帛からのおそるべき進化を示す祭具といえようか。

 

◎IV 神霊を運ぶ―「塚起こし」にみるのりくら御幣の運動性◎

「塚起こし」とのりくら御幣

何本もの御幣を差した法の枕とミテグラ。それは祈るための祭具であり、祭壇であった。

今度は、こうした御幣の集合体とは対照的な、単独の、とある御幣を取り上げることにしよう。「のりくら御幣」(三五斎幣(さんごさいへい)・注12])と呼ばれる御幣がそれで、御幣の動態学を捉える上でこれまた格好の素材といえる。

のりくら御幣がめざましい活躍を見せるのは、死者霊を神に祀りあげる「御子神(みこがみ)取り上げ」という儀礼である。大掛かりな儀礼で、その第一ステップとして、墓地で「塚起こし」(注13])が行われる。太夫が死者霊、すなわち「田地(でんち)の地主(じぬし)」に直接語かけていく唱文の一部を引いてみよう。

――この地に鎮まりなさっている名高い「田地の地主様」はかつてこの世を修めて、お亡くなりになって何年かが過ぎました。あなたさまは「ゆ法もゆ柄も強く」ていらっしゃるので、「取り上げ・引き上げ・くらえへ上げて」、「今当代の新御子神(あらみこがみ)」という「安座」の位に就きますよう、取り上げ神楽を差し上げる次第です。そこで「神が守り目・釈迦のこみこ」が斎幣を右手に持ち、黒土御墓へ「足手の運び」をし、のりくら御幣へ「読みや集め」ます……。

死者霊を御子神み祀りあげるために、まず「神が守り目・釈迦のこみこ」である私・太夫の手にしたのりくら御幣(斎幣)へ、死者霊を集めるというのである。もちろんそれは簡単にはゆかない。

最初に太夫は、小石を起こして穴をうがち(「針起こし」)、冥界とこの世の通路を開く。しかし死霊は、自力でこの世へと戻ってくることはできない。なぜなら。山の神の眷属や亡者の霊など、さまざまの下級の霊格たちと「よれてもつれて」良くない縁を結んでおり、きわめて難儀な状態にあるからだ。

そこで太夫は、「取り分け」儀礼と同じように「縁切り」をし、山の神には礼をとり、眷属たちには米を撒いて供物を与え(「ぶにあて」)、本貫地に送却したあと、死霊にあの世との縁を切り、自身の墓(「三尺四面の黒土御墓」)を目印にやってくるように呼びかける。

すると回向の和讃に導かれ、遠い冥土からの道行きをして死霊は御墓に辿り着く。死霊の影向をくじにより確認(「不可と出れば、七山和讃を掛けて、さらに死霊を法楽する)した太夫は、次に黒土御墓と「縁切り」をし、持参したのりくら御幣(三五斎幣)に死霊を迎えるのである。

是迄おあらんかぎり送り迎えも

差し上げて申しござれば、

三尺四面も黒土御墓も御縁を切らいて、

御縁を放いて、

三五斎幣、是れのりくらゑ、

いとよん精かに掛かかりて影向成り給え。

徹底しているというべきだろう。黒土御墓との縁も切って。御幣への影向を促す。いや、御墓との縁を切るからこそ、死霊は御幣へと移行することができるのだ。そして御幣に憑依したかどうか、ふたたびくじで判じる。よしとなると、太夫は白い抱き布の幣の串部分を包み、赤子を抱くようにして静かに家へと向かう。こうして儀礼の舞台は、墓地から家での御子神取り上げ神楽へと移る……。

「黒土御墓」は、第一に、死霊が冥界からこの世を目指すための道標というべき役割を担っていた。第二にそれは、御幣に憑依するための中継地点、「一の休み場」であった。冥界から黒土御墓へ、御墓から御幣へ。塚起こしの死霊迎えは二段構えになっていたわけだ(注14])。

さもありなん、死者霊を御子神に祀りあげるには、死者の生家で取り上げ神楽を執行せねばならない。そのためには。死者霊を家へと招き入れる必要がある。のりくら御幣は、まさに神霊の乗り物、「乗鞍」の役割を果たしていたことになる。

 

 

 

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