幣を立てることによって、祈祷の場は、神々の集う高天原となる……。法の枕が「幣の元」とも呼ばれていることが首肯できよう。
以下、高神(たかがみ)のお叱りがあっても、魔群魔性のものとの「行き合い」があっても、「命の立て替え・身の立て替え・身代わり」の供物として御幣や花びらを飾ったから、「身肌を離れて、眷属集めて、白紙御幣、花びら・花ミテグラヘ、さらさらとみ遊び、影向なり給へ」と祈る。
具体的な作法は省略するが、祭の空間(家・村落共同体)を穢している山川の妖怪や動物霊などに本来の場所、本貫地にお帰りねがう。ポイントは「縁切り」と呼ばれる作法で、絡み合った魔性のもの・よくないものを分離し、元の棲み家があるものは、たとえば山のものは山へ、川のものは川へと帰していく。
ところがやっかいなことに、穢れ・よくないもののなかには、人間が生んだ邪悪な呪い(スソ)がある。これらはその本人に戻すわけにはいかない。そこでもうひとつの祭具=ミテグラの働きが必要となる。スソをミテグラに集め、祈り込めるのである。
(10)呪詛の祭文を誦む(11)天神祭文を誦む(12)縁切り(13)読みみだし(14)集め祓(ゆうがの祓)
「ゆうがの祓」で、法の枕に差してあった高田の王子以外の幣を抜いて振り立て、「白幣がミテグラ、ダイバが人形、これのりくらへ集まり影向なり給へ」と唱え、御幣をミテグラに叩きつけるようにして取り分けは終了する。
取り分けの祭壇「法の枕」[高知県立歴史民俗資料館提供]
取り分けの祭壇「ミテグラ」[高知県立歴史民俗資料館提供]
こうしてミテグラに集めたスソは、スソ林に鎮められる(注11])。
進化する御幣
取り分けになくてはならぬ法の枕とミテグラは、いざなぎ流が編み出した仮設の祭壇であり、呪具であった。この二つが用意できれば、そこはたちまち、いざなぎ流太夫の祈祷所となる。だからこそ「時雇われ」の太夫は、個人の家や野外において自在に祈祷を執り行なうことができた。民間宗教者たるいざなぎ流太夫の、まさに「顔」と呼ぶにふさわしい祭具といえよう。
米の上に御幣を立てる「法の枕」は、その名の通り、いざなぎ流太夫の法力が結集する磁場だ。そもそも「フマ」(米)は、占いに用いる聖なる物でもあった。また法の枕の米が、太夫への御礼として配分されるという合目性も見逃せない。
一方のミテグラは、帰すことのできないスソを集めるという、特殊な役割を担っており、祭壇にして祓具という性格が色濃い。だからこそ供物(「ひけい」も、法の枕にはかやの実・草の実などであったのに対し、ミテグラ(スソ)には、氏子の髪の毛や爪、畳の間の埃、割れた皿のかけらなど、尋常ならざるものが供えられる。
思い返せば、ミテグラとは、本来は「幣(ぬさ)」の意味であり、かつては罪穢れを祓うために奉納されたりもした。ミテグラは、そうした幣のもつ古代的側面、すなわち祓うという宗教行為を継承し、より強力に打ち出した呪具とみなせそうである。かかる成熟を促したのは、もちろん、いざなぎ流が極端なまでに重視する「すそ」という観念にほかならない。
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