[高知県立歴史民俗資料館提供]
まず裁ち板の上に、紙・小刀・幣串の竹、連珠を置く。そして右手に米粒を少量握り、左手の親指の爪を隠して「くつごの印」を作ると、米を握った右手を上に重ね、紙の上に押し付けながら、左の字文を小声で唱える。
○そもそも此の板と申すは、奥山外山に生えや育たせ給うた、つげの柾板とは此の板にて候。
○此の紙と申すは、是天竺高天が原には生えや育たせ給うた、うまずが草を乞い砕いて、漉きや仕立てた紙とは、此の紙にて候。
○そもそもこの剱と申すは、日本の鍛冶が打たん、唐土の鍛冶が打たん、天竺須弥山、黄金の唐土国に祝われまします、弁才天神王様の作らせ給うた、剱にて候。
○そもそも此の竹と申すは、是天竺竹王竹とは、此の竹にて疑いところが候わぬ。(注6])
こうした板・紙・竹串・小刀の聖なる出自を歌いあげ讃えると、いよいよ裁ち板の上で紙を切り出す。この作法は、「包丁を三十五度位に手前に倒して、先の方を使い、見定めを付けて、一直線に切る。此の時に手先で切らずに、肩の力を使い、肘を後に引く気持にて、息をつめて切る。一線の切り直しはいけない」。
なかでも繊細さを要するのは、シデにちぢを付ける方法で、「右手親指人差指にて、包丁の刃を内に向け、四・五センチ位の所を持ち、左手の親指と人差指にしでをはさんで持ち、包丁の刃で左手の親指を相手に、定めの数だけ折りたたみ、最後に強く力を入れて、折りを決める。……良い和紙なれば、雨にかからぬ処なれば、十年位、しでのちぢの形が残る」という。
さてこうして作られた御幣の多くは、神の依代・精霊の形象として注連で結界された祭場に飾られた。やがてそこに神々が降臨し、祭の庭は、神々や精霊の遊ぶ宿と化すのだ。
しかし本稿のターゲットとする御幣は、神の座として祭場を彩る御幣ではない。なぜなら、御幣が欠くべからざる祭具としてヴィヴィッドな働きを見せるのは、祈祷の現場であったから。そういえば、先にあげた「御幣の祭文」も、病人祈祷で誦まれたとおぼしい。そこで次節は、奥三河の病人祈祷祭文を取りあげ、祈祷における御幣の役割をみておくことにしよう。