御幣の本地仏は、天竺では大日如来、唐土では龍樹菩薩、日本では不動明王と説き起こす。
祭文・縁起類によく見られる「三国伝来」の形式である。続いて御幣の用材となる聖木の出自(注2])を語っていく。
摩詞陀国の明王山に聳える四方四角の木。「頂上の幣帛」と呼ばれるその木が御幣の起源であった。そして聖数「三」にあやかり、三つの枝を「三童子の御幣」とし、「三国」を「守護」すると説く(これはおそらく、「しで」のことだろう)。
さて次は、御幣の刻みは(ちぢめ・ちぢ)について語るパートである。「荒磯に三五七波の音聞けば 魔王鬼神は速く退く」などと歌われるように、ちぢには、七・五・三(注3])と刻む場合が多い。
このようにちぢの「七・五・三」には、さまざまな宗教義を表象するものであった。つまり御幣には、あらゆる神仏の加護と聖性が具現されているわけだ。
然るにこの御幣をもって、今日、それがし沙門、諸仏・諸神・諸大権現・諸大明神、殊には当社鎮守、別しては不動明王、来臨影向し給ひて、今日の病者・第六天の魔王・荒神・荒御前の崇りをなすとも、又は生霊・死霊・呪詛・怨敵・年の厄・月の厄・日の厄・時の厄なりとも、かの沙門某、只今祈念申す所、当座平癒の秘法の徳を受け給ふものなり。
急急如律令
祭文は最後に、だからこそ行者「それがし」は、さまざまな崇りや災厄があろうとも、御幣により「当座平癒」の「秘法の徳」を受けると宣言して結ばれる。おそらくこの祭文は、後述する病人祈祷などの際に、読誦されたにちがいない。
◆御幣作りの作法
聖なる御幣であるからには、御幣作りの作法もゆるがせにはできない。花祭や各地の神楽・修験道・密教の神祭などを見渡してみると、神歌や唱え言はよく似通っている。(注4])
ここは、土佐・物部村(ものべそん)のいざなぎ流の作法でみておくことにしよう。(注5])