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◎三夢見の儀と影向戸――仏堂への鎮守神の顕現◎

 

加行最終日、すなわち慈恩会当日には、行事に先立って「夢見の儀」なる作法が行われるが、これも神仏習合の儀礼として注目される。本儀は、竪者に対して発問をする問者が、合否の判定役である探題(たんだい)より論題を授かる儀で、赤童子画像(薬師寺においては春日曼茶羅)が本尊として懸けられた小部屋で行われる。赤童子像にはやはり顔を隠すためのシデがつけられた注連が上に掛けられ、また画像の脇には梅の白杖が供えられる。この赤童子像を背にして座し、探題は袖の下を通して、論題を問者に授けるのである。こうした所作により、また”夢見の儀”といった名称からも、春日明神より夢中で論題を授かることを意味する作法といえる。

また慈恩会行事中においては、「影向戸(ようごうのと)」と呼ばれる扉からの探題の入堂の作法が、神仏習合の儀礼として注目される。探題は、儀式の途中、講師の神分(じんぶん)・勧請(かんじょう)の句の読みあげとともに、御堂背後左(北西<乾>)の、シデが付けられた注連の掛けられた影向の戸より出御する。仏堂内に注連が掛けられること自体興味深いが、探題はこのとき、梅の白杖(ずばえ)を手にした役、及び竪儀の論題を記した短尺(たんじゃく)を入れた「短尺箱」を持った役の先導する行列を従えて会場に赴く。(8])

梅の白杖の先導する行列といえば、大和においてははじめにも見た春日若宮御祭が直ちに想起されるところである。すなわち、梅の白杖役がこれで、巨大な「祝いの御幣」を捧持する役人とともに、目にも鮮やかな赤衣に身を包み、地を引きずる長いちはやを付けて、大規模な行列を先導するのであるが、梅の白杖が春日明神の依り代であることは明らかであろう。

では梅の白杖とともに運ばれる短尺箱にはいかなる役割があるのであろうか。実は、この箱の中には二本の小御幣が収められ、探題の出仕前には春日赤童子の前に梅の白杖とともに供えられているのであるが、近世においてはこの中に御幣を捧げる「奉幣(ほうべい)」の儀が、探題役の秘儀として行われていた。興福寺蔵『伝授之書』「維摩会探題伝授覚書」には「一、奉幣、短尺箱出ル前有之、短尺箱ノ景ニ春日影向アリト」と記され、この儀が箱内に春日明神を勧請する作法であったことが明記されている。能の中でも最神聖曲で有り、神事として演じられる「翁」においては、御神体たる翁面が面箱に納められて舞台に運ばれるが、短尺箱もこれと同様に、内に春日明神を勧請して、御堂にお渡し申しあげる―神輿のごとき―祭具として認識されていたものであったといえよう。(3])

このように見てくれば、御幣が収められた短尺箱が若宮御祭における祝いの御幣に相当するものであり、やはり梅の白杖とともに春日明神の依り代として機能しているものといえる。すなわち、慈恩会における<短尺箱-梅の白杖>=若宮御祭の<祝いの御幣-梅の白杖>といった関係になり、仏事・神事を越えた共通性をここに認めることができるわけである。鎌倉期に成立した『春日権現験記』には、興福寺の法会において講堂に集まる鹿の姿―鹿は春日神のミサキである―を見ることができ、影向戸からの探題出御の儀は、春日神の法会の場への顕現を儀礼化したものと見做されるわけであるが、興福寺・春日社が一体化して続いた長い歴史の中から生み出された作法ということができよう。

 

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3]興福寺慈恩会 御幣の収められた短尺箱

 

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夢見の部屋 シデにより顔を隠された春日赤童子

 

 

 

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