さて、この赤童子と慈恩大師像の前には「影向(ようごう)机」なる机が居えられる。影向とは、神仏の示現を意味する語で、この影向机の上には春日社において鑽っていただいた浄火が行の間中、灯しつづけられるのであるが、すなわち、春日神を護法神として勧請し、唯識の祖師をお祀りする祭壇として影向机が居えられているのであり、春日明神を供養することが、慈恩会加行中の重要な勤めとしてあるわけなのである。
竪者の頭上には天蓋が張られるが、法会において導師の頭上に懸けられる、いわゆる白蓋(びゃっかい)とは形状を異にするものである。この天蓋は注連縄にシデをつけた約五〇センチ四方の方形のもので、霜月祭の「湯飾り」(愛知県北設楽郡富山村)や花祭りにおける「白蓋(びゃっけ)」(愛知県東栄町月、等)等、これらにくらべれば小さいものではあるが、三信遠等の神楽における天井の飾りを思わせるものである。これらの神楽における天井の飾りは、神々・精霊を祭儀の場に勧請するための湯を煮え立たせる釜の上等に吊されるもので、仏堂において仏の降臨する場を示す白蓋を源流として民間に変容して伝えられたものであろうが、それが還流して仏道修行の場にとりいれられたものと考えられる。
この天蓋としての注連には花を象った小さなシデが付けられるが、後に見る東大寺お水取りの神供(じんく)の注連に付けられるものと同形のものである。また春日社の祭祀においても同様のシデが用いられるというが、その造形に奈良の地に固有の民俗宗教の世界を見ることができるのである。(2])