春日社を中心とする奈良における代表的な御幣を一つ挙げるとすれば、何といっても春日若宮御祭りにおける「金剛御幣」であろう。若宮御祭りは、現在十二月十六日深夜に春日若宮神を御旅所にお迎えして催される祭りであるが、金春・観世座をはじめとする大和猿楽座が誕生した奈良の地にふさわしく、若宮神に奉納するために舞楽や巫女による神楽、能・田楽といった、古代・中世に源流をもつ諸芸能が繰り広げられる。この金剛御幣は田楽法師によって奉られるものであるが、大人の背の倍ほどもある黒く輝く漆塗りの幣串と、五色の大振りの幣は見るものの眼を驚かさずにはいない。
ところで、本若宮御祭りは、明治期の神仏分離以前までは興福寺が主催した。実は、春日社は興福寺の鎮守社であって、すなわち興福寺領に若宮を迎えて祀るのが若宮御祭りであったのである。
平安朝以降、諸大社の祭礼は作り物や装束の華やかさ――風流(ふりゆう)――を競うようになる。若宮祭礼においては、田楽法師は、興福寺僧より特別に負担を命じられた田楽頭(でんがくのとう)役より下賜された豪華な錦繍の装束を着けて登場するが、一の鳥居内脇の影向(ようごう)の松の御前、及び御旅所(おたびしょ)神前において五色の金剛御幣を捧げて演じられる田楽芸は、大和一国の領主としての興福寺の威信を誇示する「風流」であったといえる。(1])
◎二南都僧修学と護法神として春日明神◎
その興福寺で現在、薬師寺と隔年で修され慈恩会(じおんえ)は、法相宗の宗祖慈恩(じおん)大師窺基(きき)を祀り、その忌日に修される最大の年中行事である。現在は十一月十三日、唯識の経典の講問論義を儀式として厳修されているが、本法会においては学僧の昇進資格試験として竪義(りゆうぎ)があわせて行われる。慈恩会も、この竪義も平安時代以来の行事であるが、興味深いのは、その随所に春日信仰の影響に基づく様々な作法が存することで、そうした諸作法においては御幣が重要な役割を果たす。
竪義においては、受験者たる竪者(りつしや)はこれに先だって、前行として二十一日間の「加行(けぎよう)」を行うが、加行部屋には、春日赤(あか)童子と慈恩大師画像が行者(竪者)の座の正面に、また床の間には唯識曼茶羅が懸けられる。この中、赤童子と慈恩大師像の上にはシデのつけられた注連がかけられるが、注目されるのはこのシデの形状で、その下方が両者それぞれの顔を隠すために方形に大きく切られている。特に祭儀の空間における神像・仏像を神聖なるものであるがゆえに隠すことは珍しいことではなく、たとえば時宗本山の遊行寺(神奈川県藤沢)の「一つ火」と称する念仏行事においては、熊野曼茶羅が白い紙で覆われて正面脇にかけられるが、本赤童子の例のように、シデの切り様によって神像を隠すのは特徴的な工夫であるといえよう。