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宮城の御幣正月行事にみられる特色……伊藤優

 

宮城県内においても民間信仰、人生儀礼、年中行事、祭礼等の様々な場面で御幣が用いられてきた。このうち、正月行事においては最も多種多様な御幣がみられる。そのため、本稿では、県下で行なわれてきた伝統的な正月行事に焦点をあて、そこでみられる御幣について報告するものである。正月行事に用いられる御幣のほとんどは神社の神職、寺院の僧侶等によって作られ、氏子や信者に頒布されてきた。また、御幣のみならず、「おかざり」、「きざみもの」、「きりこ」と呼ばれる切り透かし、紙注連、人形、シデ等の伝承切紙も多数みられる。これらを神棚や家の内外に供えて正月を迎え、また様々な正月行事に用いるのである。

 

◎正月行事と御幣◎

御幣などの伝承切紙を作る神社、寺院の多くはかつて神仏混淆期において修験寺院であったという由緒がある。現在ではこれらの切紙の材料となる紙は神社や寺院であらかじめ用意し、おおよそ秋から作り始める。作り初めには「小刀おろし」などと呼ばれる儀礼が伴うのが通例である。かつて昭和三十年代頃までは、材料の紙は和紙産地からの行商人によって各地域にもたらされ、氏子や信者が買い求めて用意しておく地域も少なくなかった。伝承切紙は十二月下旬までには頒布される。頒布に際しては、神職等が家々を訪ねて授与したり、世話人に頒布を依頼するなどの方法のほかに、各地区ごとにさだめているヤドに氏子等が紙を持ち寄り、そのヤドで神職等が切紙を製作する「寄せ切り」と呼ばれる方法がとられていた地域もあった。切紙の受領には初穂料が伴う。ただし、歳暮として贈られる場合もある。また、頒布する切紙の種類や数は家ごとに違う。これは、祀る神の種類や数が家ごとに違うためであり、戦前までは主に旧家やその同族、または神社、寺院への貢献度の高い家には華やかで大きな切紙が頒布される傾向がみられ、この影響もあげられる。

それでは実際の正月行事において御幣はどのように用いられているのかを具体的に紹介する。取りあげるのは、宮城県北部沿岸地域に位置する本吉郡唐桑町の早馬神社の事例である。早馬神社は江戸時代まで本山派修験良厳院として知られた修験院で、製作する伝承切紙の種類や、頒布する氏子の数が県内で最多の神社である。

氏子の家々ではまず、門松や神棚を祀る部屋の周囲にシデをつけた注連縄を張る。常設の神棚が設けられている部屋をオカミなどという。オカミの神棚には切り透かし形式、あるいは恵比寿・大黒と称される紙注連形式の切紙を飾り、神祠には祀る神体の数だけ白幣束を立てる(写真1])。仏壇の前には果物などと一緒に宝珠がかたどられた御霊(みたま)の御幣を、箕に立てる(写真2])。仏壇の中には三種類の日蓮幣を供える家もある。台所には水滴をあらわした水房(みずふさ)の御幣を、納屋には桝を表現した岡幣(おかのへい)の御幣を供える。さらに、家の外にある井戸には水瓶をあらわした水神の御幣を、屋敷神には狐をかたどった明神の御幣を祀る。そのほかにも、観音、厩、馬の尾をあらわした馬頭観音、猫の毛を表現した猫仏(ねこぶつ)、さらに山神、疱瘡神などの御幣もみられる。

早馬神社の祭礼時に特別な役割を担っている家には足長の山神と呼ばれる御幣が頒布されている。これは五つの色紙を使い、三つの部分の組み合わせからなる特殊な御幣で、神棚に供えられる。

 

 

 

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