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女宮から七度半の迎えが出され、男宮側は獅子舞・王の舞を演じてから女宮へ向かう。女宮側の近迎えを受けて女宮へ入ると、祭式のあとそれぞれが芸を行う。次に両社とも男宮へ移り女宮側の芸が行われる。このあと男宮の馬場先へ出て両社の御幣の先を合わせる「お会い祭り」をして祭りが終わりになる、というものだ。この御幣は長さ五メートルもある。紙は長く作られているが量がとくに多いわけでもない。

御幣の先というのは竹の輪に扇を四段重ねて丸く作ったもの。一番下の重ねは白扇と日の丸扇の八枚で、男宮は青、女宮は赤の彩色を施す。その上の重ねは四枚の白扇に双方とも青の彩色をし、鷹・富士・鯉幟を描く。次の重ねも四枚で、白地に松、茄子、稲穂、柿が描かれる。最後は鶴亀を描いた白扇と舞扇を上下に並べる。舞扇は男宮は青系、女宮は赤系である。扇の輪は男宮は少し角張り、女宮は丸みのあるものにするという。お会い式というのは男と女が別れの前に抱き合うようなものだろうか。御幣の項に扇の輪を作るのは美浜町の織田神社にもあるが、こちらは日の丸扇を丸く配置するだけだ。沓見の場合は男宮・女宮を意識するあまりに彩色がされ、さらに宝尽のような絵柄を加えたのかもしれない。ただ全く新しいものではないだろう。

御幣の米包み……沓見の御幣は先ばかりが目立つが、後ろへ回ると直径一五センチほどもある巾着のような紙包みが吊り下げられ、中には米が入っている。米の包みは越前北部では全く見られないが、若狭では御幣にもオハケにもつけている。三方(みかた)町の宇波西(うわせ)神社の氏子の牧口(まきぐち)では、目玉だといってオハケには包みが二つつけられる。美浜町の弥美(みみ)神社や、三方町闇見(くらみ)神社の大御幣など大型の物は包みも大きいし、弥美神社の祭りで各氏子集落から神社へ持ち込まれる小さな御幣では細い幣軸の頭を覆うような小さな包みである。米の包みのあるものは大量の紙に隠され、あるものは紙と同じ色で写真では有無が確認しにくい。現場でよほどその気になって見るより仕方がないのだが、私もほかの人もこの点にそれほど注意をしてこなかった。御幣が依代であるとともに、棒げ物のぬさの性質を残していると思わせるのだが、いかがだろうか。

宮座のオハケと御幣……さて、ここであげた神社は宮座の伝統をもっており、祭りの芸能も王の舞、獅子、田楽など中世的、神饌も標準化されたものではなく個性がある。御幣やオハケも興味深い。

宇波西神社の場合は氏子の集落ごとに頭屋にオハケをたて、祭りの日に定められた神饌とともに御幣を神社に納める。神饌を神社に納める一行が頭屋をでるとすぐにオハケも倒してしまうから、依代がオハケから御幣に交代することになる。御幣は一人で持てるもので米包みもついているが、神饌ほどの注目は集めない。オハケの先端は地区ごとに違う。漁のむら、日向(ひるが)では厚さ一寸ほどの板のこばに鉋がけしてできた薄いリボンを竿の先にはたきのようにくくりつける。

 

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霜月祭リの刀根御幣(敦賀市)

 

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刀根のオハケ

 

 

 

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