この御幣は神々の依代として五色の紙を重ねて切った小御幣を変わった形で配置する。まず長さ三メートルほどの竿に二段の木製の円盤を取り付ける。円盤は直径が四〇センチほどで円周の内側に一二個の孔をあけてある。この孔に小御幣の軸をとおし、その根本を竿にしばる。小さな御幣の輪が二段できることになる。竿の頂には白紙の小御幣を取り付ける。祭りの場ではごく慎ましく立っているのに、展示室に持ち込むと意外なほど大きい。「注連」は日向神楽が演じられるときは必ず演じなければならない曲目の一つであることを改めて主張しているかのようだ。
肩に担ぐ……次に思い浮かんだのは福井市の「国山(くにやま)の正月神事」で、田主(たぬし)が使う御幣だ。今は四年に一度だけ、一月三日の夜行われる田遊びである。会場は里宮ともいうべき神社の拝殿。梁からシロタモの枝が隙間なく吊り下げられ、森のような幻想的な雰囲気のなかで、二人の太夫(たゆう)による庄の言立て・種まき・牛買い、社人衆による鍬打ち、蚕飼い等が続く。そして最後に着流し、薄化粧、造花や稲穂を飾りにつけた烏帽子姿の田主が現れる。太夫も社人衆(しゃにんしゅう)も会場に入ってから神々を拝礼し般若心経をあげ、ひどく儀式張った杯ごとや烏帽子着けまでしてようやくそれぞれの役を演じるのだが、田主は神々の横から完全な装束で会場に入る。太鼓の音ともに、いくぶん背をかがめ、床を踏み鳴らすようにしての入場である。会場の中央へ移った田主は自分が伊勢の神主だと名乗り、エブリを表す棒振りや早乙女を「苗植え候へ、苗植え候へ」と督励して、自らも舞を始める。
この田主が大型の御幣を常に肩に担いでいるのである。国山の神事は動きが少ない。ところが田主が現われてからは俄然動きが大きくなる。田主は御幣をかついだまま扇子を持つ手を大きく振り、身をかがめたり、高くのび上がったりし、御幣も大きく揺れる。田主は姿や出現のしかたから見て、単なる田の所有者や伊勢の神主などではなく、神自身なのだろう。神だからこそ、依代になるべき御幣を担いでいても問題はないのだ。
詞章(ししょう)は稲刈りまで続く。ところが田主と棒振りがまだ舞っているとき、つまり田植えが続いているときに、合図とともにシロタモの枝をすべて引き落としてしまい、あとはひどく騒然としたものになる。社人衆や太夫は神々の前で残りの詞章を謡うが、田主は早乙女役の幼い子供たちをかばうように早々にひきあげてしまう。田主の手にする御幣が白い紙をたっぷり使ったものだったことは確かだが、どんな紙を使うか、特別な切り方があるかなど、会場の荘厳や衣装の模様まで考えたことがあるのにすっかり忘れていた。