◎神霊の依りつく所◎
さて、これまでいざなぎ流の多様な御幣の世界を走りばしりで見てきた。では、これらの御幣の基本的な機能は何なのだろうか。
御幣を切ったあとで「御幣とけ」という儀礼をおこなう。「降りてましませ神様よ、わんぜいましませ神様よ、」などと唱え、出来上がったばかりの真っ白な幣に神を招くのである。また「取り分け」に際しては、幣を切ったあとにできる切り屑、たとえば切り抜いた目口の部分の紙屑であっても決しておろそかにせず、ひとつに集め、みてぐらといっしょに埋める。どんな小さな切り屑でも、それは山の神や水神が自分のものであると考え、そこに宿ってしまうからだと言う。また筆者の勤めている資料館の展示用に多くの幣を切ってもらったとき、太夫にこんなことを言われた。たとえ呼ばなくても、幣ができるとそこが自分の場所と思ってその神霊が来てしまう昔だったら展示用の御幣など考えられないことだ、というのだ。
これらの言葉からわかるのは、御幣が神の依り代であること。複雑に切り分けられる御幣の形はただの形なのではなく、その個々の神霊とつながるための「しるし」なのだということである。目に見えない神霊は太夫が切り出す御幣の中から自分の形を識別し、そこへ舞い降りるのである。
山川の魔群に対する幣が多いことについて、ある太夫はこう言った。祈祷がうまくいかないときに、相手の神霊により適当な幣を切ることが、祈りを成就する手段のひとつであった。太夫たちはより適当な幣を、と思って新たな形を創造し、その種類を増やしていったのだろう。多様な幣はそのような太夫の試行錯誤のたまものだったのだ。不思議な人形幣の数々は、いざなぎ流の太夫の神霊とのコミュニケーションの歴史を物語っているのである。
<高知県立歴史民俗資料館主任学芸員>