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それを、十四日の朝に、墓地の墓石一基一基に一本ずつ立て(差す)る。さらにその家で祀る荒神や忠霊碑にも立てる。現在はすでに「ヒロ」を祀ることを止めておられたが、かつて、「ヒロ」は全部で五十数本作られたといわれる。また、この地区では、お盆にも「ヒロ」が作られて水の子と一緒に墓に供えられた。そんな話をかすかながら古老から聞くことができた。小正月と盆に祖霊や荒神を祀るのに「ヒロ」という、もう人々から忘れさられているケズリカケを供える行為に神仏以前の古風な祀り方を感じられずにはいられない。

そんな「ヒロ」が風になびいている様を眺めていると「ヒロ」は「ハビロ」蝶ではないかと思えてくる。九州山地の中央、それも明治神道のメッカの一つとも思える高千穂町の隣、廃仏毀釈の動きの激しかった日之影町の山村で祀られていたヒロというケズリカケは、ハビロの省略された呼び名というのは穿った考えだろうか。

大林太良氏の大著『銀河の道虹の掛け橋』の[霊魂の蝶]の項によると、「日本での蝶の存在は古くは不吉なもので、人の魂と考えられていた。」とし、「古代ギリシャ、ローマでも蝶は霊魂のことで、スロヴェニア人は、鬼火、蝶、魔女は同じ言葉で表されるという。また、ヨーロッパばかりでなく太平洋諸島や北米インディアンの多くの部族にも、蝶は天と地の中間に現われ、天地のいずれにも属さず。色美しいが、儚い存在だからである。」「そして蝶は霊魂と同一視されることが多い。」と述べてある。

 

◎オコゼの御幣◎

『自然と文化60』で紹介した「オコゼ」の御幣をもう一度見てみる。写真5]は椎葉村尾前集落のコウザキ宿の主人が保管していた、本物のオコゼである。写真6]は西米良村の小川米良神社宮司・河野義勝さんが「獅子場祭」のために彫るオコゼ御幣である。写真7]はそれを分解したものである。一枚は、人形であるが足がなく、サイドに切り込みが入っている。それがオコゼのエラという。もう一枚のシデの重ね折り部分がヒレと尾ビレである。

 

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5]椎業村4前集落のコウザキ宿の主人が保管していたオコゼ

 

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6]河野義勝さんが「獅子場祭」に作ったオコゼ御幣

 

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7]6]を分解したところ

 

 

 

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