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また、「柳田国男は『妹の力』の中で、田植のときに美しい服装で昼の食物を運ぶ役目の女をオナリと称したことにいちはやく着目し、それが南島のオナリ神の残存ではないかと推察している。」とも紹介している。

そのような南島の神観念の残存と思われるオナリとハベラが登場する祭りが九州山地の宮崎県側にある。九州脊梁山脈に源を発し、日向灘に注ぐ耳川沿い、椎葉村と諸塚村に隣接する東臼杵郡西郷村田代神社の『御田祭』である。

御田祭は現在新暦の七月七日に行われ、前日の夕刻から献饌のオゴク(赤飯)を蒸し、祭日の朝からそれをウナリと称される女性たちの手でオニギリにされる。[ウナリ(宇奈利)十名は神社氏子世襲役の神道われの女性で構成される。(宮崎県資料編民俗2より)]それを飯櫃に入れ、年の神の宮田までの神幸行列に加わる。ウナリは白装束で飯櫃を頭上にのせてすすむ様は、阿蘇神社の御田植祭のウナリ同様古風な光景である。(だが、現在は頭上にはのせずに、肩にのせている様である。)

ハビロについては、『宮崎県資料編民俗2』に次のような記載がある。

御田祭に先だち、祭の縁起になった「犬吠え田」という場所「田代神社降臨発見地」の石碑の建つ前に、丸石数個を並べ、ハビロ(蝶型幣)を数本立て、豊作を祈願する。

そこで、田代神社宮司にハビロについて問い合わせると、この件に関しては田代神社氏子の山下為喜さんを紹介され、一九九九年十一月二十日に訪ねて話しを伺いハビロの幣の立てかたを再現していただいた。

 

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2]ハビロの祀り方を、山下為喜さんに再現してもらった。

 

山下為喜さんは、大正十三年の生まれで、「田代神社降臨発見地」の石碑が建つ、大字田代若宮地区粕野に住んでおられる。御田祭に先だちハビロの幣を立てる神事について話を伺うと、元々御田祭の祭事とは関連していなく、この神事を提案して御田祭に組み込まれたのは最近のことで、まだ十年も経ってはいないと言われる。山下さんによると、この豊作祈願のハビロの御幣を立てることは、山下さんの隣家になる橋本家。慶応生まれのおばあちゃんが戦前まで行っていたものの途絶えてしまっていた。そこで、山下さんが少年時代から見て来ていたので、それをそのままを再現したものであると言われる。

戦前までの当時の行事は、粕野集落九軒の家で、それぞれの苗代田の水口近くの畔で、ハビロの御幣を立てることが行われた。特徴的なのはこの行事を執り行うのは男ではなく、その家の主婦であったことだ。

八十八夜ごろ苗代に種蒔きを終えると、川原から丸い石を数個(両手でもてるほど)もってきて、苗代田の水口の側の畔に置く。山下さんたちは、この丸石のことを「タノカンジョ」田の神様と呼んでいる。一般的には田の神をお迎えする行事なので「田の神勧請(タノカンジョウ)」からきた呼び名かもしれないが、ここでは丸石そのものを田の神様と称している。その前にオコワ(赤飯)と焼酎を供え、その回りに直径五ミリ、長さ二五センチほどの細い竹の先を割ったものを幣串に、半紙をたて八センチ・よこ六センチの長方形に切った白紙をはさむ。それを四、六本地面に差すのである。

 

 

 

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