前日にこの葛とともに山から採り出した三メートルほどの大榊を木の枠に据えて、十五名ほどで、辻々などでまくりながら(根が地面から離れぬようにしつつ、枠の腕木が、順に地面につくように大きく左回転させること)祭り宿ともいう当番宿(現在は氏神春日神社の社務所)に置く。宿では、このヤマともいわれる山車を三名の女性が、面をつけ、両手に榊を持ち、異装で舞いながら迎える。
この夜、この榊のヤマを受けて当番総代などが宿に籠る。翌朝、海で身を浄めた人々が宿に集まり、用意してある二本の大幣などを前に(写真2])、神事がいとなまれたあと、行列を組んで、囃子と唄のなかを二本の山ノ神の神木に赴く。ここで神事があり、先のように葛の帯巻きが行われる。
この神事で重要な役をはたすのが大幣である。これは区長総代など選ばれた者が毎年作製する。
長さ七尺二寸(約二メートル三〇センチ)巾一・五寸(約五センチ)の木の串に神職が用意する幣をつけたもので、幣の垂れは、数知らずといわれるほどに多い。この大幣の他に、地区内の荒神、水神に納める三尺六寸(約一メートル二〇センチ)の幣を四本用意する。幣串はいずれも、山から切り出した樅(もみ)の木を削って作る。
この大幣は「神主」といわれる奉幣持ちが扱う。潮垢離(ごり)をしたあと、別火による食事をし、行列に参加するほど重要な役である。口には榊葉をくわえ、腰にサラシ布を巻き、これに大幣二本を差して神職に従い、行列の先頭を行く(写真3])そのあとに幣を持った人々が続く。途中、人々のなかには、これを拝む者もいる。
神木に到着すると木遣(けや)り唄に合せて大葛が時々手に持つ人を飛ばすような勢いで、帯締役により巻かれる。これには榊や樒(しきみ)が差されたあと、帯締役が、幣を手にする大幣持ちを片車にし、他の人々がこれを助けるようにして担ぎ上げ、この巻かれた葛のなかに大幣を差す。(写真4])神職による祝詞奏上、献饌のあと、供物の小豆飯が直会として出される。この葛に、子供の成長を祈る旗を立てる人もある。これと同様の儀礼と祭祀が、もう一本の神木でも行われる。
【考察】この大山祭りの行われる布施村は、現在も同規模の村を存続させているほど山の恵みに与(あず)かってきた地区である。山林、山畑アラアケという焼畑、山の水田に麦や雑穀、稲を栽培し、山樵、炭焼きなど、沿岸漁業とともに多様な生業を展開してきたのであるがこのような山による恵みへの感謝と豊穣への期待が大きいほどに、祭祀の象徴ともいえる御幣は大きく、幣も多いのであろう。山から神をまず里に迎えて行うこの祭りは、山棲みの人々の祭祀儀礼というよりも、これらの人々を含むより多くの農民の祭りといえる。いわば山里の祭りである。御幣を媒介に山に宿る神霊との一体化を示すこの祭りをとおして自然への畏敬と共生の観念をみることができる。