海の危難を逃れる術は古代の人たちには無かった。波が荒れれば入江の奥にひそんでおさまるのを待ち、風が吹けば又同じようにして凪ぎを待った。そして、通りすぎる場所ごとにおいて歌を作り、古歌を朗唱して神の心を慰めようとした。だから美しい地名を詠みこむことが多かったし、女人を呼ぶことも多かった。
(2731)牛窓の 波の潮さゐ 島とよみ 寄そりし君に 逢はずかもあらむ
牛窓は岡山県東部の港である。
(3598)ぬばたまの 夜は明けぬらし 玉の浦に あさりする鶴(たづ) 鳴き渡るなり
玉の浦は、倉敷市の現在の新倉敷駅附近と思われる。玉の浦の地名が美しい。
(3599)月読(つくよみ)の 光を清み 神島(かみしま)の 磯間の浦ゆ 船出すわれは
神島は現在は干拓されて陸地になってしまった笠岡市の神島(こうのしま)と思われる。右の二首は、巻第十五の遣新羅使人等の歌であり、彼等の航路は、神島から、広島県の鞆(とも)に向ったのである。
<歌人>
(注)塙書房版万葉集。岩波古典文学大系万葉集。小学館古典全集万葉集を参照した。歌については「或る本の歌」の記載は抄略した。