(253)稲日野(いなびの)も 行き過ぎかてに 思へれば 心恋しき 加古の島見ゆ
○稲日野――兵庫県高砂あたりの野。○可古の島――加古川河口の船泊り。稲日野を行過ぎ難く思っていると、ゆくてに加古川の船泊りが見えてきた。
(254)燈火(ともしび)の 明石大門(あかしおほと)に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず
○燈火の――明石にかかる枕詞。わが乗る船の明石海峡に入る日には、いよいよ大和の国と別れることであろうか。なつかしい家のあたりを、もはや見ることなしに。海路を西に下る歌。
(255)天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ
○天離る――鄙にかかる枕詞。○大和島――大和の国の国境いをなす生駒・葛城の連山をこういった。遠い道をたどって来たが、いよいよ明石海峡にかかるとなつかしい大和の山山が見える。海路東行する歌。
(256)飼飯(けひ)の海の 庭良くあらし 刈(か)り薦(こも)の 乱れて出づ見ゆ 海人(あま)の釣舟
○飼飯(けひ)の海――淡路島の松帆、笥飯野の海。○刈薦――乱れにかかる枕詞。飼飯の沖の海が静かに凪いでいるので、海人の操る舟が、たくさん、入り乱れるようにして漕ぎ出して行くのが見える。