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江戸時代の港の名残りを見せる船着場の石組み。このような石造りの階段を瀬戸内では、ガンギと呼んでいる

 

潮、風、あて山を見なければいけません。網など漁具の作り方、漁法は一子相伝みたいなもので、先祖伝来の技術を憶えていないと一人前の漁師になれない………。

谷川…別系統の人が外国から来たのではないかというのは、柳田国男の頭の中には家船(えぶね)があったと思います。沖縄の糸満も、漂海民の系統です。瀬戸内海で注目することは能地(のうじ)と二窓(ふたまど)の家船の系統です。

沖浦…大崎下島の江戸時代の報告書を見ると、「本島には漁師なし」とあります。ところが二人でしたか能地からの漁師がいる「出村」と書かれています。それが大長の漁村の始まりです。今は二〇軒ほどあります。

谷川…それが御手洗に魚を供給していたのでしょう。そういう人たちがあちこちに住みついて、家船の枝村が瀬戸内に百ヵ所くらいあると河岡武春さんは述べている。漁民と農民とは全く別の人びとです。

沖浦…一六〇ヵ所くらいです。私の本にも書きましたが、私は芸予諸島を中心に瀬戸内海の島々を一五年かかって歩きました。そこでいろいろ見聞しましたが、いちばん目についたのは、農民と漁民との通婚がなかったことですね。恋愛は別ですが今でも少ない。農民と漁民ははっきり棲み分けています。村の付き合い方、盆踊の踊り方もかなり違う。維新以後一つの村に統合されますが、そこで問題もいろいろ発生するわけです。皆さん思っているよりも農民と漁民の習俗の違い、それが社会的格差となって現れていたのですね。

谷川…格差でもあるし偏差でもあるんですね。

 

 

 

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