かつては海で魚を捕っていた人たちが後に内陸で農業をやるようになったためなのか、それとも海で魚を捕っている人たちは海の向こうからやってきた、別系統の人たちに繋がるものがあるのではないかと柳田は述べています。宮古島でも漁村は限られている。多良間島でも島に漁村は一つもない。北に水納(みんな)島がありますが、魚はそこから買っているそうです。しかも多良間島と水納の間は、冬季何ヶ月聞も、海が荒れて途絶するのです。
沖浦…それはとても興味深い話です。海のことや漁師のことをよく知らない都市や農村の皆さんは、海のそばに住んでいれば、いつでも魚が獲れると思っています。それで海のそばに住んでれば漁師が多いだろうと想像するわけですね。
さらに<殺生戒>もあって仏教も絡んできます。天武天皇が最初に出しますが、この朝廷の殺生禁断令で、生き物を殺してはいけないとされました。しかし、山の猟師、海の漁師はいずれも殺生を生業にしています。海の漁師は山の漁師と同じ猟師という字を使っている例が多いんです。だから農民の側からすれば、自分たちとはそもそも身分が違うんだ。こういう意識があります。だから漁民は農民からずっと卑賤視されていたわけです。
もう一つ、漁は技術的にも大変難しい仕事です。