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それから小坂から丸亀に渡って行ったと地元では言い伝えられています。

そのころは、漁師(猟師)は<殺生戒>を侵す者として、平安貴族仏教では卑賤視されていました。河原者と同じように極楽往生はできないとされていた。それに対して、法然は「一切衆生・平等往生」のブッダの教えの通り、漁民でも南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へ行けると説いた。そういうありがたい教えを塩飽の島で布教したに違いありません。法然が南無阿弥陀仏と書いた石を艫綱に括り付けて小坂から出帆していったと言うのです。その石が今でも阿弥陀堂の中にあるのです。

谷川…簡素なお堂でした。

 

◎私の故郷と村上水軍の末裔◎

谷川…話を移しますが、次に沖浦さんの故郷である鞆之浦の話をしてください。

沖浦…私の故郷は鞆の港から歩いて一五分のところにある平の浦です。すぐ背後に山深い平家谷があります。

この平の浦には二つの伝承があります。この浦の先祖は屋島で敗れた平家の落武者が逃げ込んできて住んだ村であると言い伝えられています。

 

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下津井・丸亀のフェリー上で海を眺める沖浦和光さん

 

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沖浦さんの故郷・平の浦

 

 

 

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