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a-門の上部に設置された透かし彫りの壁状のものは、近頃流行の「門楼」と呼ばれる装飾。

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b-元代のものといわれる土地堂。

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c-門神堂。

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d-正面に見える正房および屋根上の風水楼は、八○年代以前のもの。福と書かれた壁は花欄とよばれ、門楼と同様近年の流行である。

図17]八〇年代後半に建てられた住宅

この家では、大街門の内側壁面の東に土地堂、西に門神堂を設置している。

新築の住宅では、だいたいこの位置に両者が設置されている。土地堂は、もともとよその家にあった年代物を買い取ったそうだ,また正房の屋根上に風水楼も設置している。風水楼の設置場所は、風水先生に相談して決めた

建築そのものが変わらないことから、かつての共同体生活の経験を生かして生活していると考えるのが妥当ではないだろうか。例えば住まいをまもる土地堂や風水楼は、各住宅に一つずつしかない。だからといって、自分の住む建物に新しく設置したりはしない。細かく別れる所有関係には属さず、共有のものとして扱われていて、正月には持ち回りで土地堂の春連貼りをしている。

平遥においては、規制がされてはいるものの、ちょうど改革開放経済も軌道に乗りつつあって、住民の懐も重くなり始めた九〇年代に入ってから住宅の新築ブームが始まったようである。かつてのように自分の家族のためだけの住宅を建てられるようになったのだ。新築の住宅では、磚木構造や窰洞のような在来構法が使われることはなくなりつつある。ほとんどが鉄骨磚積みでつくられた、陸屋根の平屋ないしは二階建てになっている。材料や構法は変わったけれども、建物の配置構成を見ると、四合院住宅の平面構成をうけついだ中庭住宅だ。小さな敷地に建設される場合は、矩形の敷地に主屋ともう一つの棟で配置されるようなものも多く見られる。配置構成が継承されただけではない。家族間の序列と空間の序列も対応されている。一人っ子政策が推進されているとはいっても、平遥ではいまだに二人ないしは三人兄弟が多い。新築したばかりの住宅では、まずは正房を作って、兄弟が結婚適齢期になるまでに東房や酉房を建てまして彼らの新居にあてる計画を良く聞かされた。また、九四年以降に建てられた住宅の多くには、風水楼、土地堂、門神堂などを全て取り付けている。それ以前に落成していた住宅についても九四年以降に装置を付けたしたものが多い。「そうした迷信は、全く信じない」人は、全く装置をつけない。(図17])

このように、現在でも住空間の秩序とそれを維持する装置は、放棄されてはいない。もともと家族間の序列を反映するように秩序化された住宅の配置構成が継承されることで、今度は住宅が秩序を維持する装置になっているとも考えられる。だが、現在進みつつある城外への移り住みによって、高層のアパート暮らしをするようになったとき、全く違った住宅空間の中で、継承されてきた秩序もそれを維持する装置も、全くちがうものにとりかえられるのだろうか。あるいは、新しい空間に、これまで維持してきた秩序を、形をかえながらうまく配置していくかもしれない。

<都市史・建築史研究>

 

 

 

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