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図13]街路から正房までのシークエンス

 

しかし、血縁関係のある一家が住まっていた当時は、このように外部のものが安易に入ることはできなかったはずだ。外見の印象どおり、内と外を厳格に分けていたのだ。(図13])

平遥において典型的なのは、壁によって分割された二つの院子(中庭)をもつものである。街路に面する大街門(大門)によって敷地の内部と外部を厳然と隔てているのはいうまでもない。これに対して院子を仕切る門は、二街門と呼ばれている。仕切られた院子は、敷地の奥側を里院、手前側を外院と呼び分けている。里とは、内側の意味である。里院には、家族の起居室や厨房が配置される。そして、外院には、倉庫やトイレ、馬がいる場合には廐などが配置されて、明確にそれぞれの機能が分割されていた。二街門で区分するだけでなく、敷地の高さも里院を相対的に高くして、空間の上下を明らかにしている。以前は、物売りや一見の客などは外院で応対したそうだし、トイレのくみ取りもここでおこなった。つまり、外院は、比較的外部の者が出入りしやすい空間だったといえよう。そして、家族の住まう里院は、二街門によって二重に守られていたのだ。

 

◎家内安全の守り神◎

住まいの内と外との分節点である二街門の両脇には、往々にして一対の小さな祠が設置されている。土地爺をまつる土地堂と門神をまつる門神堂である。単純なものは、壁をくり貫いただけだが、豪華なものは、屋根から垂木、土地堂、あるいは門神堂と彫られた篇額、開口部脇の照壁まで磚の彫刻で造形されており、ミニチュアの廟のようである。(図14]15])

農歴の正月である過年節には、門という門に春聯というめでたい文句を書き付けた一対になった赤い紙が張られる。土地堂や門神堂にも、あたかも神々の住まいの春節を祝うように春聯が張られる。ここに書かれた文句には、住民が土地神と門神に期待する効力が読みとれるものがある。土地堂に貼られるのは、「家に土地堂があるから、一院(中庭を中心とした住宅全体をさす)の平安が保たれる」など、そこに住まう人々の平安を期待するものが中心だ。門神堂については、「家に門神堂があるから、四季は、滞りなくすべて順調である」、「住宅内に門神をまつって、各世代の平安が保たれる」など土地堂と共通した意味のものもあるが、「出入りの平安を護る、行き来の安らかであることを護る」といった、住民の外出の際の安全を祈願するものもある。(図16])

さて、一対になっている神々にも序列が存在するはずだ。漢代以降に、神々に人格が与えられていく過程で、土地神には、生前徳を積んだ庶民があてられた。それに対して、門神には、武将があてられていることから、門神が土地神より上位に位置していると考えられる。では、これらをまつる土地堂および門神堂が左右対称に配置されるケースでは、この序列の上下をどのように処理しているのだろうか。現地では、「東為上、西為下、左為上、右為下」といった言葉で方位・左右の序列が語られる。これによれば、神の序列で上位にある門神は、東、あるいは正房から向かって右に設置されなければならない。

 

 

 

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