図4]青海町自然史博物館で展示されている出土した木柱
図2]が寺地遺跡の縄文晩期の配石遺構の全体像である。この巨大な神像表現の身体部分を輪郭線で強調するため、石を連続的に立てたり、長石を横につなげたりして表現上の工夫がされている。そこから導き出された身体線を調査者が明確にその配石画像の上に引いて、それぞれ「積石環状配石I」「積石環状配石II「炉状配石」「廊状配石」「有柱方形配石」「弧状配石」と呼称している。この画像と強調輪郭線にたすけられて、試行錯誤の末に、この神像と相同な画像と考えたのが図1]である。胎齢四週目の胎児(正確には胎芽)の母体内撮影写真で、その顔の部分がまだ魚の段階の相貌をおびていること、心臓がまだ原基の段階で体の前面に飛び出ていて心筒と呼ばれる円形をしていること、へその緒の三本の輸送管がまだ小さい胎児の身体に対して大きく力強い線で強調されてみえること……、などからの対比である。
これを発掘調査者が命名した立石や長石をつなげて強調した輪郭線にあてはめていけば、楕円形の「積石環状配石I」は胎児の頭部に、半円形にさがる「積石環状配石II」は顔の部分に(この二つの部分の特に左側は宅地造成工事、農業用水路工事のため礫が取り去られていて、かろうじて輪郭が判る程度である)、三重の輪に長石で囲まれた巨大な「炉状配石」は心臓原基である心筒に、長い首のように帯状に強調した「廊状配石」は脊椎骨原基に、四方位に囲った中に巨大木柱を四本建てた「有柱方形配石」は生成する内臓全体に、曲がった尾っぽのように見える三本の「弧状配石」は意外であったが、この時期の胎児の大きさに比して存在感の大きいへその緒の三本の輸送管に大きく比定できうるだろう。