図1]胎齢四週目の胎児。中央の円球が心臓
縄文時代の遺構で、巨大木柱(直径六〇センチ〜一メートル前後)が、新潟と富山の県境の寺地遺跡、金沢市のチカモリ遺跡、能登半島先端部の真脇遺跡、上毛高原の矢瀬遺跡、そして青森の三内丸山遺跡などの低湿地からそのままの状態で発見された。また巨木は出土はしないが、その巨大柱穴跡の様相から巨大木柱を立てたことが推定される遺構が相当数にのぼり、縄文時代に木柱をたかくかかげて何らかの世界像を表現したことが注目されている。
しかし、発見された物言わぬ巨大木柱から縄文人の企図した世界像を探り出す作業は極めて困難である。幸い三十年前、木柱が最初に発見された新潟県青海町の寺地遺跡には、六〇センチ前後の杉材の巨大木柱が四本、シンメトリーに配石遺構の中心部に建っていた。その配石遺構は、その配石が描く画像が神像の身体表現であること、そこから死生観が窺えることから葬礼に関係する施設であろうと思われる。また、その遺構から出土する人骨、動物骨、石棒、陰石、ヒスイ原石や製品を関連する意味性の中に置くと、その巨大木柱の性格を側面から理解できる可能性をもっている。