また児玉石神社と八龍神社の真南に位置する諏訪神社上社本宮境内にはこれも「七石之事」に「水不増不滅ナリ、三界之衆之善悪ヲ被註(シルサル)硯也」という「硯石(すずりいし)」が在る。「水増さず不滅なり」とは、絶えず極微の水の生ずる状態であり、これは上社に伝わる「七不思議」の伝承の一つである「御アマオチ」(『諏訪上社物忌令之事』上社本「七不思議之事」)の「上社宝殿の茅葺き屋根の軒からどんな干天の時でも絶えず滴が落ちている」との口伝、および宝殿の下方に建てられている「天竜水舎」に伝わる「屋根の穴より滴りがあって止むことがない」との伝承に同じ意味合いである。これらの伝承は上社本宮の位置が南(午)の「火気」(陽)によって象徴されるところであり、そこはまた「陽気の中に一陰を萌すところ」だからである。陰陽五行思想の基をなす易は「陽」を「−」、「陰」を「--」で表現する。方位や時間を始め、一切の万象には、陰陽の二元が内在し、その量は刻々と変化する。一日二十四時間においても陰陽の二元は刻々と変化し、「午の刻」に一陰「--」を萌すのである。(図4])
この陰を「水」、陽を「火」に置き換えれば、「一陰」は、「一滴のしずく」ということになる。
この理論は、『國中怪異奇譚』(一七五三)に書かれている、上社の宝殿滴りは「年中午の刻」、いかなる晴天酷暑にも、茅葺きの宝殿から滴りがあって止むことが無い。という伝承に一致する。つまり、「硯石」及び「御アマオチ」、「天竜水舎」のそれぞれの伝承は、皆この理論より生じたものと考えられる。
宝殿及び天竜水舎の口伝の源流を硯石にあると考えて、宝殿の出現以前の状態に思いを巡らすと、そこには古代磐座信仰と、それらを結び付ける陰陽五行思想の「子午線」が顕現する。つまり「児玉石《北(子)・水気》」―「硯石《南(午)・火気》」の線である。そして何時の頃からかその線上の「中央・土気」の空間に、土気となった古い御柱を納める「土気の宮」として八龍神社が置かれたのではなかっただろうか。
八龍様が狐神とされ、白狐稲荷の代理格と語られたのも、そこが土気に関わる諏訪神社の重要な祭りの場であったからである。
今までの考察で明らかになったようなそれぞれの配置性は「図3]」で一目瞭然である。
◎御柱移動にみえる五行相生の循環◎
御柱の起源は定かではないが、連綿と行われてきた御柱の祀りに、ある時、それまでと違った祀りの原理「陰陽五行思想」が導入され、その祀りの理論によって、その基本となる選ばれた場所が本宮の置かれているところであったのではないか。(前宮はそれ以前からの祀りの場所であったのかもしれない。)