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◎木気の空間から選定された山作衆◎

さて陰陽五行思想は御柱の祭りにどの様に関わっているのだろうか。

陰陽五行思想の「五」とは、水・火・木・金・土の五気(五元素)のことであり、「行」はその動き(循環)・作用をいう。五気は、北方位に「水気」、南方位に「火気」、東方位に「木気」、西方位に「金気」、そして中央に「土気」が配当されそれぞれの方位とする。

御柱を、社の遥か二〇キロ先より求めて来るのにはそれなりの理由があるはずである。巨木の御柱は「木気」であり、木気の方位は「東」である。御小屋山が御柱を見立てる山として成立した理由は、そこが諏訪平の「最東端」、「木気」に象徴される適地であったからだろう。木気の固まりともいえる御柱は、そこから里の社にもたらされるのである。

御柱を建てることの原初の意味をさぐりだすことはなかなか難しいことではあるが、木気に象徴される東方位は、朝毎に太陽の昇る生成発展の期待される方位であり、木気はまた万物の生命の始まる季節「春」を象徴する。諏訪平の東端にあたる御小屋山からもたらされる御柱は真新しい生命樹といえる。

それでは山作衆は、どのようにして選ばれたのだろうか。その役割の都合上御小屋山の近くに住む人々から選ぶのが最善であろう。けれども適地は、現在山作衆の居住する神之原の地域ばかりとも思えない。そこには何らかの理由と基準があったと思われる。すでに述べたように山作衆の御柱における奉仕の役は、皆「木」に関わるものである。これを陰陽五行思想に照らせば「木気」に関わる奉仕である。不思議なことに山作衆は、前宮と本宮の東方に当たる「木気の空間」に居住し、しかも前宮本殿の真東の線上にある七社明神社を氏神としているのである。(図3]参照)七社明神社は神之原地区の氏神でもあり、同地区内字中御前に鎮座している。祭神は建御名方命で、往古は「中御前社」とも称した。承応三年(一六五四)の記録からも御小屋明神(祭神・建御名方命)が神之原村の管理であったことが判る。これらのことを考え合わせてみると、ここにも、「山作」の選定基準として、陰陽五行理論の「木気」が関わっていることが想像されるのである。

推察するに山作衆は、前宮と本宮の真東の木気の空間が選定され、そこに位置する人々の中から選ばれたと考えられる。さらに一歩踏み込んで言えば、前宮本殿から見て真東に向かう線上を選定の基準としたのではないだろうか。

山作衆の居住地域の氏神七社明神社(中御前社)はその線上に置かれたのではなかっただろうか。

もう一つ重要な事は、先出の『諏訪郡諸村並旧跡年代記』によれば、この社の境内が『諏訪上社物忌令之事(神長本)(一二三八年)』に名を留めている「七夕、イノ木」(諏訪神社における巨木に対する信仰であり、「タ、イ(湛)」とは神がこの木に天降り示現することとも言われる。)の一つ「ヒクサタ、イ」の伝承地でもあることだ。ただし七木のタ、イと同名のタ、イが他にもあって伝承地には異論もあり断定はできない。けれども、旧跡年代記の伝承地を地図上に落としてみると、その幾つかには偶然とも思えない方向性が見えてくる。(図3]内記載)

七社明神社のヒクサタ、イノ木は、前宮本殿から見て、真東の「木気」の線上を指し示す目標物となったはずである。いずれにしてもこの社には、諏訪平の東端、木気に象徴されるところの御小屋明神社と同様の祭神が祀られる空間のはずである。

 

 

 

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