タイ北部のラフ族(チェンライ県)でも正月の儀式に柱建てをして祭壇を祀る
このムォン人と隣接して暮している黒・白タイー人も同様の儀式を継承しており、その系譜はタイ国の民間の儀式に登場するバイシーと呼ばれるバナナの葉で造られた柱のようなものへと連なっていくのである。
先のムォン人は言語的にはタイー人とデルタのキン人と中間をなし、中国支配以前のキン人のくらしの原型をうかがわせるといわれている。ようするに、デルタの人々が中国化して、自らをキン(京)人と自称し分離したというのである。中国の支配が始まる以前、トンキンデルタは、銅鼓に象徴されるドンソン文化のセンターであった。そして、銅鼓自体が柱のようなものであるという説もある。そして、銅鼓に描かれた霊舟や鳥のモチーフは、銅鼓が分布する中国南西部から東南アジア島嶼部にまで広がっている。言うまでもなく、現在の、東南アジアはイスラム、仏教など大宗教に覆われてしまい、一見そのような儀式は途絶えたように見える。しかし、これらの地に伝わる織物には柱(生命樹)・霊舟・霊鳥が無数に出てくるのである。「柱のようなもの」は神、あるいは祖霊の領域と交信するのになくてはならないアンテナだったといえる。これは東南アジアにとどまらず、広くアジア全体に共通した世界観のように思えるのである。とくに、ベトナムに伝わる「水牛供犠」の一連の儀式のありようは、かつての銅鼓を使用した儀式と精神性においては、共通のものとして興味がつきないのである。
<写真家>