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マッチェンドラ神の神霊(プラーナ=生命)は山車巡行の半月前の満月の日に神像から抜き出され、ブラフマー神と言われる壺の中に仮寓させられる。十五日間のこの期間は仏教的に言えば“中有”の段階に入っており、神は死を迎えたことになる。その間に神像は洗われ美しく塗り直されて新たな誕生を待つ。

春バイサク月の新月の日、マッチェンドラ神はブラフマー神の壺から再び神像の中に入魂され、再生する。しかしそれだけでは神の生命は躍動してこない。カトマンドゥ盆地全体の水を集めるコトゥワルから聖少女と僧侶によって運ばれてくる水を灌ぎかけられなければならない。(弘理子氏の稿、参照)

月の水が新たな滴りを始める日、この二人によって男女両性の精を灌ぎかけられたマッチェンドラ神の生命は、胎動を始める。それはまた盆地の最も古い住人であるナーガ神(竜神)の生命をも含み、大悲観音(カルナーマヤ)の神力の始動でもある。

新月の日山車に乗り移ったマッチェンドラ神像は、パタン市のかつての境界から市内に入り、ピータとよばれる女神の聖所のある場所に停泊して、礼拝供養をうける。山車を組み上げている間、このピータの上に置かれるという構図は、他の柱建て祭りにおいて、女性を意味する溝に男性である柱が立てられるのと全く同一のものであることが分かる。

こうしてマッチェンドラ祭はカトマンドウ盆地の最も古層にあったナーガの信仰に、水をコントロールする呪術師マッチェンドラナート及び観音の信仰が重層し、男性原理と女性原理の結合によって降雨がもたらされ、豊穣が約束されるという密教的観念にまで達している。

 

◎多義的なネパールの柱◎

ネパールでは祭事に建てる柱のことは“リンゴ”とよばれる。これは男根を意味する“リンガ”に関係するものであり、言葉の上では明らかに意識されているものの、正面切ってそれであるとは誰も言わない。

インドラの神木伐採に同行した時、王宮付祭司が陰に私をよんで教えてくれたのは、「柱はインドラのリンガだ」ということだ。それを知ってか知らずか、神木にお参りにきた子供たちも、「これはインドラだから敬って、お賽銭を上げなくちゃ」などと言っている。

人々はインドラ神の宿る神の器(依り代といえよう)として、あるいは神そのものとして柱に顔を寄せ、手でふれて礼拝する。これはビスケートの柱もマッチェンドラの山車も同様である。柱は作物の豊穣のみならず家の繁栄をもたらす神力の凝集したものとして、祈りを捧げられるのだ。

柱が男性原理であり、女性原理である大地の溝にそれを立てることが豊穣をもたらすという観念は、ネパールだけのものではない。諏訪の御柱の起源に関して、神之原(茅野市)在住の原田哲郎は、縄文時代に遡る同様な天神地母の考えに行きつくと言っている。八ヶ岳山麓に発見される石棒が、その一つの証しであるという。この観念はインド文化においてはタントラの哲学にまで高められたが、その源流は基層文化の奥深くに発するものであり、日本のそれともどこかで触れあうのかもしれない。

一方、柱は蛇であるという観念もある。これはまた別の係官に聞いたのだが、その証拠に神木は必らず地上を引いていかなくてはならない。なぜなら蛇は地を這うものであるからであるという。

マッチェンドラの山鉾にひそむナーガにも共通するこの観念は、基層文化にある水の神ナーガの信仰が人々の深層心理に生きていることを示すものであろう。神木を伐採する時初めて知ったことだが、切り倒された樹はおびただしい樹液を流す。御柱は水を宿す生命であり、山の生命そのものでもあるのだ。

ヒンドゥー教祭祀の視点から言えば、柱はdhvaja,ketu=はた(幢、幡、旗)ともよばれる。柱には吉祥の模様を描いた細長い布を吊り下げるので、柱は単に幟旗を掲揚するための支柱であると考える向きもあるが、ネパール語辞書(注8])にもあるように、あくまでも柱が「はた」なのである。これは例えば“ガルダの憧(garuda dhvaja)”とよばれる物が、金翅鳥(ガルダ)の像を乗せた石柱であることからも類推できよう。

またインドにはアショーカ王柱にも見られるように、その場が特殊な意味をもつことを示す柱がある。ネパールの柱建てにおいても、本来重要なのは柱であって、布製の「はた」はその内容を示すものであったと考えられる。そしてdhvajaという言葉はまた標識という意味ももっており、それは神の降りる聖なる場であることを示すものなのである。

 

 

 

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