これは解放後も長らく各地でみられたが、近年特色あるものがめっきリ少なくなった。年初の洞祭(ムラまつり)のときに立てられてることが多い(補足、「村山智順所蔵写真帳」)
「韓将軍あそび(ハンチャングンノリ)」である。韓将軍は、慶尚北道慶山(キョンサン)郡慈仁(チャイン)面一帯が倭人に攻撃されそうになったとき、姉とともに女装し、周囲に華やかに着飾ったむすめたち(実は部下)を集めた。かれらは池の畔の広場で「女円舞」をはじめ、倭人をおびき寄せた上で、一時にかれらを殲滅させた。それを記念して、この地域では端午のときになると、仮装行列と女円舞をやる。そこには、丈の高い「監司纛」すなわち幟が先頭に押し立てられる。また「花の鬼神」ともいうべき三メートルにもおよぶ花の冠「女円花」(図3])を戴いた者が二人現れ、つき従う。またあそびの後、この花は鬼神を追いはらう力があるというので、人びとが争って持ち帰った。
上記、監司纛と女円花を併せたものが華蓋に相当しよう。韓将軍のあそびのあと、花の生命力は人びとに分け与えられた。こうした花の力を典型的に表現してみせるのが中国貴州省の苗(ミャオ)族のあいだにみられる「花の樹」で、これについての図像と伝承は先に記したことがある(拙稿「跳花」『日吉紀要言語・文化・コミュニケーション』No.10、一九九二年)。
今日、江陵では、図4]にあるように、秋葉の聞書とはだいぶ異なるかたちで華蓋が再現され市街行進に用いられている。これでは捧げようもなく、また花びらに相当する輪の周囲の五色の布が中心の柱よりも長くて妙な挽き物となっている。これは華蓋の意味が不明に帰したためであろうが、ただ、巫女のクッの場には依然として「華蓋」が掲げられている。当の巫女たちもその意味は忘れているようなのだが、江陵の巫覡のクッはひとつの別神クッであり、根源の秩序を回復するためのものであったのだから、華蓋のもとでおこなわれるのが本来の姿である。いわば、巫女たちはそれを黙々と維持してきたということになる。