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矢作 弘氏の著書『都市はよみがえるか-地域商業とまちづくり-』の中で、彦根市の取り組みについての意見がなされている。これには、「彦根市は都心の本町地区で、『夢・京橋キャッスルロード』の整備に取り組んでいる。彦根城の南側、中壕にかかる京橋を抜けたところに、町家の町なみを再生しようというプロジェクトだ。長さ350m、幅員18mの道路だ。界隈はかつて町人町として栄えた。しかし最近は、商売が低迷していた。そこで町家風の低層木造建築の商店や住宅に造り替え、歴史的町並み景観を再生しようという事業だ。ケヤキなどの街路樹が植えられた。舗道が石貼りになって整備された。電柱・電線が地中化されて消えた。繁雑だった看板も取り除かれた。道路の途中に、ポケットパークがつくられた。以前の道路景観に比較して、格段に良くなっているのは確かだ。1995年、「全国街路事業コンクール会長賞」を受賞した。しかし、古い町並みを再生したわけではない。いづれも新築で、京都・太秦の映画村にあるセット風景の印象を免れない。なによりもそこに暮らしている人々よりも、彦根を訪れる観光客を強く意識した町並み投資になっている。」と述べている。これは、一方的な意見にすぎないかもしれないが、この意見に対して共感する人も多いだろう。昨年1年間に45万人の観光客が訪れ18億円以上の収入があったと発表されているが、観光客だけの町なみであって良いのか。これは、いままでの町なみ保全の考え方ややり方を考え直すべき時がきているということのあらわれといえるのではないだろうか。

5-4-2 再生と活用にむけて

さらに、魚屋町通りのほかにもキャッスルロード周辺で歴史を感じさせるような町なみはないかと周辺を見てみると、ところどころに古い町なみがみうけられる。そうしたなかでも魚屋町通りやキャッスルロードから歩ける範囲に位置している善利組足軽屋敷をとりあげてみた。

足軽屋敷は、キャッスルロードの突き当たりから狭い通路を入ったところの付近一帯で、東西750m、南北約300mの地域である。道路幅は、魚屋町通りの3間半(6.3m)よりさらに狭く約1間半(2.7m)で、南北に15筋、東西に2筋の道路がある。間口は5間(9m)奥行きは10間(18m)で短冊形の屋敷地がならんでいる。その数は約700戸といわれ、昭和43年の調査では、比較的古い建物が158棟確認されている。しかし、その後、平成6年(1994)の調査では、76棟に激減した。

足軽屋敷は規模は小さいが全面に簡単な木戸門と目板瓦葺きの塀を構え、主屋の入り口が直接道路に面することがないようになっている点で町家と異なっている。主屋の形式は大別して2つの型がありひとつは主屋が切り妻瓦葺で、その棟方向が全面道路と直交し、主屋の前妻面に下屋を設け、その壁面が道路に接する。門はその脇にあり、門から入れば右または左手にある主屋の側面に入口がある。つまり、平入りとなる。なお、同種のもので母屋の屋根が入母屋草葺のものもある。もうひとつは、主屋が切妻瓦葺で、その棟方向が全面道路と平行し、平入りとなるが、全面道路から数m入った位置にある。この場合の平面は通り庭形式であるが、その構成型には数種ある。なお、この型にも主屋の屋根が入母屋草葺きのものもある。これは、昭和41年(1966)からおこなわれた調査で、滋賀県立短期大学工学部の室谷誠一教授・浜田五郎助教授によって報告されたものである。

この調査以後、大きな調査は行われておらず、どのくらいの建物が残り、、どれくらいの町なみが保全されるべきものなのかはっきりとしたことはわからないが、今後もし調査されることがあるならば、その調査によって徐々に全容が明らかになっていくことであろう。

ここでは、キャッスルロードの周辺に位置している魚屋町通りと足軽屋敷を中心に活用・再生という話を進めていこうと考えているが、このほかにも彦根には多くの歴史的建造物が今もなお人々の暮らしのなかで生きづいていることはいうまでもない。本研究の中心である魚屋町通りとそのほかに足軽屋敷を例に取り上げたのは、キャッスルロードからすぐ近くに立地しているという条件からである。キャッスルロードに来た人達がその周辺にある歴史的町なみ、魚屋町や足軽屋敷に興味を持ち足を運んでもらうことによって、古いたたずまいにふれることができる。そして、城と新しいキャッスルロード、町人の生活空間、家臣たちの生活空間、すべてを目にすることができ、感じることができ、また、町全体が生きた資料館、博物館のようになると考えたからである。

 

 

 

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