第5章 魚屋町の町なみ
濱崎一志、堀井香里
5-0 調査の目的と方法
5-0-1 調査の目的
城下町彦根では、彦根城を中心として武士や商人、職人など多くの人々が暮らしていた。現在多くの町なみが変貌しているが、彦根の瓦焼町、舟町、芹橋、魚屋町通りなどでは伝統的な町なみがあちこちに残り、城下町の面影を今に伝えている。
本研究は、魚屋町通りの歴史をたどり、その歴史的環境を再評価するための基礎資料を収集し、保全・活用・再生を模索するものである。その中で魚屋町通りに建つ奥野邸をケーススタディとしてとりあげ、コンピューターグラフィックを用いて復原を試み、町なみ保存の基礎資料を作成するものである。
魚屋町通りは、現在の本町2丁目、3丁目、城町1丁目をさし、今もなお古い町なみがつづく落ち着いたたたずまいの残る通りである。魚屋町というのは旧名でその由来は、城下町が建設されたおりに、魚屋を集住させたことによる。現在では、魚屋こそ残っていないが家の前に井戸の残っている家も多く、当時の様子をうかがうことができる。
奥野邸は魚屋町通りと京橋通りの十字路近くに位置し、本町2丁目に所在する。江戸期には郷宿、明治から昭和にかけては、醤油の製造販売業を営んでいた。この建物は、安政初期頃にたてられたと推測されるが、様々な古図からその変遷を探ることができる。様々な絵図から魚屋町通りと奥野邸の変遷をたどり、それらの保存・修復・これからのあり方について考察する。
5-0-2 調査の方法
魚屋町の町なみについては聞き取りや現地で実測調査をおこなった。魚屋町については25年前に調査されていることから、当時の町なみと現在の町なみの変化を比較検討し、25年間の変化を検証した。
魚屋町通りに江戸期から建つ奥野邸については、古絵図が残されていることから、江戸期の町の様子や、家の様子が詳しく復原できる。この復原を用いて江戸期の奥野邸について考察していく。さらにコンピューターグラフィックを用いて立体的な復原をおこない、様々な角度から復原案を検討し、保存修復の基礎資料を作成する。
5-1 魚屋町通りの歴史
5-1-1 魚屋町通りの変遷
魚屋町通りは、城の南に位置し、東西にのびる通りである。図5-1は、昭和36年の航空写真である。魚屋町通りというのは旧名で、さらに細かく上魚屋町、職人町、下魚屋町に分けられていた(図5-2)。これらは現在の本町2丁目、3丁目、城町1丁目にあたる。魚屋町通りは東西に長く、その延長は約650mであり、江戸期における町の様子はその名が示すように魚屋や職人などが多く住んでいた。元禄8年(1695)の記録によれば上魚屋町には城下の魚屋75軒中40軒が集中していたと記されており、琵琶湖や付近でとれた淡水魚のほかに、日本海でとれた魚も入荷していた。これらの魚は、魚問屋の広田七衛門の店に集められここから店や行商の魚屋に売られていた。旧広田家は下魚屋町の端あたりに位置し、現在は市指定文化財となっている。