▽言い伝え・伝統行事
「姉子(あねご)」の名前の由来:明治の地租改正のとき、郡役所に勤め地積図の作成に携わった職員が(鹿家の人)、以前からある「拂畑(ハライバタケ)」「飛松(トビマツ)」が字として広すぎたので、「姉子」「大姉子」の字を新たに区切った。「姉子」という名前にしたのは、海岸の松林の中の小さい川に掛かる橋のところに、雨の日には狐が桃割れを結った若い女(=あねご)に化けて出るので、雨の降る日には松林を通られないと言われていたからであるそうだ。
そのようないわれがあるのは、浜には身投げや船の難破で遺体が流れ着つくことがあったのと、松林に狐がよく出ていたことが結びついたためと思われる。
伝統行事「じんじ」:10月10日に行われる、「はくさん宮」のお祭りで五穀豊穣、大漁を感謝する。「おみこさん」(=御神輿)を中心とした行列が海岸に出ていく。鹿家では船は出ないが、福吉のほうでは船が出てにぎわう。
海岸周辺での言い伝え:鹿家の海岸に「えんのみの木」といわれる木があり、「その下で用を足したりしてはいけない。清浄にしないといけない」といわれていた。国道に歩道をつける工事の際に掘ったところ遺構が出土し、専門家によると、それは古墳かなにかだったようだ。
以上のように、以前は食料・肥料・燃料の採取の場として生活に身近だった浜辺が、生活の変化にともなって、次第に次第に疎遠になっていったことがわかる。
しかし、10年前にはじめられたという老人会の砂浜の清掃が、鳴き砂復活の一因ではないかという指摘があり、最近では、清掃活動という消極的な関わりではあるが、「鳴き砂」を守るという意味を持つ活動を通して、より広い範囲の住民が姉子の浜に関わるようになってきている。
お話をうかがった方々:(ヒアリング時期=平成11年10月〜12年1月)
楢崎圭介氏(大正11年鹿家生まれ昭和35〜52年の農協勤務時に姉子浜の前の道をかよった)
市丸菅子氏(大正7年鹿家生まれ農業従事)
市丸藤雄氏(大正5年唐津市生まれ)
住吉寅之助氏(郷土研究会会長)
山崎七郎氏(姉子の浜鳴き砂を守る会会長)
石井洋氏(福吉公民館主事)
楢崎節雄氏(福吉公民館館長)