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また、多数の旅行会社の九州ツアー参入により、価格を下げる競争が熾烈化した。

一方、その頃、EGの親会社である日本航空(JL)は、収益が伸び悩んでいる羽田及び関西空港発着の長距離国内路線の需要喚起のため、EGによる台湾人送客を要請した。また、EGは、秋と冬に競争力のあるデスティネーションを求めていた。台湾のどの航空会社も北海道への直行定期路線を運航しておらず、また他社は国内線との乗り継ぎによるツアー商品造成が経費的理由等で困難であるため、EGにとり北海道は競争力のあるデスティネーションであった。

EGは、1995年4月、関空または成田・羽田経由新千歳空港の国際線と国内線の合計運賃より約30%割安の通し特別団体運賃を、系列の旅行会社に対し提供し始めた。さらに、6〜9人の小グループに対しては特別団体運賃より4%を上乗せしただけの「ミニツアー」運賃を導入し、立ち上げ期において北海道ツアー商品の価格競争力の向上に強力な支援となった。

 

(2) 日本観光協会台湾事務所の重点誘客地域の切り替え

日本観光協会台湾事務所は、1993年からテーマパークを主体とした九州を最重点のデスティネーションとして誘客活動を展開していた。ハウステンボスの台湾人入場者数は1993年度34,500人、1994年度114,400人となり、1995年は94年度を超す勢いで急増しており、軌道に乗ってきていた。1995年4月を過ぎた頃、同所はEGが九州から北海道へ重点デスティネーションを切り替えたことを知った。

同所は、EGの支援により、北海道が価格とアクセス面で競争力が向上したため、九州に替わる重点誘客対象地域に決定し、マーケティング戦略の策定を行った。

その当時、台湾の外国旅行のピークシーズンである旧正月休みの時期は、「さっぽろ雪まつり」へのツアーが冬の訪日旅行の主流となっていた。そのため、北海道といえば雪や「さっぽろ雪まつり」という冬のイメージが定着していた。同所は、新たな北海道のデスティネーション・マーケティングには、冬から他の季節、札幌を中心とした道央の訪問地から他地域への平準化をすることが肝要と考えた。また、富良野・美瑛に代表されるヨーロッパ的な丘陵景観や大雪山系・阿寒湖等の山水の大自然、そしてカニ・鮭等の海産物のグルメが主要な観光魅力となると考え、「冬以外の北海道」をテーマに誘客対象地域を道東に絞り込むこととした。

北海道のイメージとしては、「ヨーロッパ風リゾート」というイメージを打ち出すこととした。台湾の人々は、ヨーロッパに対して憧れの念を抱いており、また、このイメージにより、北海道をアジアの近隣諸国や日本国内と差別化できると考えた。1995年6月、台湾の有力日刊紙『聯合報』の旅行特集版で北海道が取り上げられ、同所の働きかけにより、「日本の小さな北欧」というキャッチフレーズが冒頭に掲載された。これが、同所の北海道のマーケティングの始動であった。同所は、1年後の1996年6月、北海道に関する報道発表を行い、「ヨーロッパ風リゾート」のイメージ浸透に努めた。

 

(3) 日本観光協会台湾事務所と道観連との共同マーケティングの開始

1995年8月、道東方面のツアー商品の開発を促進するため、JNTOと道観連との共催、EGの航空券提供による協力で、台湾の旅行会社5社を招請し視察事業を実施した。視察対象は、日本観光協会台湾事務所が選定し、道東を中心に組み入れた。

 

 

 

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