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鈴木/それと、歌詞では『どんと どんと どんと 波乗り越えて』てあるでしょう。重井音羽さんが。私、埼玉県の寄居という所に旅した時に、重井さんに会った訳なんです。そうしたら、「何とか放送で訂正していただけませんか。」と。「何ですか。」といったら「『どんと どんと どんと 波乗り越えて』と歌いますけれども、私が書いたのは『波乗り越して』なんです。」と「それを藤原義江さんが最初にレコーディングする時、『越えて』と歌ってしまったんです。『越えて』ってのは、波にまかせて船が行ってしまう。だけども『越して』っていうのは、自分の力で行くんだって訳です。だから、『波乗り越えて 何ちょろで漕げば さあーと上がったクジラの潮の 潮のあちらで朝日が昇る』。そこに力強く、どんとぶつかって行くんです。それには『越して』じゃなきゃいけないんです。」そこに私は作詞家の厳しさを感じたですね。

さっき、叙情の歌のことをおっしゃてたでしょう。日本の叙情ってのはだいたい古くからいうと新古今集あたりからうまれてきたもんですよ。それまでは、万葉集にしても何にしても、中国の影響を受けていますが。

例えば、今桜が終わりましたよね。万葉集の中には桜を詠んだものは3首しかないんです。ところが、古今集、新古今集になると、桜がずっと詠われるんですよ。その頃から、叙情ってのが出てきて、それが大成されたのが、この明治の島崎藤村とか、或いは作曲家の中山晋平さん、そういう人が出て、その叙情というものを確立していく訳ですよね。そして、それが日本人の心に浸み通って、今でも、ずーっとこう歌われている訳ですよね。

そういう縦の流れと、もう一つ横の、例えば、おととし沖縄でやったじゃないですか。沖縄から始まった音楽が、ハイヤになって、それから、オケサになって、ジョンガラになって、これ一連の流れですよね。この日本海の海流にのってですね、歌が流れていくんですね。

あの海流ってのは、皆さんが想像するより、はるかに速いんですよ。私ね、昭和33年に紀伊半島の田辺という町から、鰹の一本釣りの船にのったんですよ。ベテランの釣師さんでも、2日休んだらもの凄い船酔いをするという、凄いんですよ。それにのって、潮岬の見えるところで、漁が始まって、漁が終わったんです。それが午前9時。午前6時に出たんですよ。9時に終わったから、12時には少なくとも田辺の港へ帰れると思い、「お昼には帰れますよね。」って言ったら、漁師さんたちが、「いえ、夜の12時です。」

あの潮の流れってのはですね、5分流れにのったら、元に戻るまでに1時間かかるんです。「じゃ、ここはどこですか。」ったら、「御前崎の南ですよ。帰ると、夜の12時ですよ。」その位海流にのって、だから歌でもですね。どんどん旅して行く訳です。それが世界中に拡がる。

 

 

 

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