これからみると、私どもはもともとたいへんいい観察眼、アンテナを持っているはずです。ところが、だんだんその感覚が低下してしまって、いまのように隣の方を観察して下さいという指示があって、自分では観察しているつもりでも、なかなか見ていないということになっている。
これにはいくつかの理由が考えられます。
“見る”が持つ意味
ひとつは、そんなにじろじろ見るのは失礼だというしつけがあります。幼稚園に行くようになって、好奇心満々で見ていると、「そんなにじろじろ見てはいけませんよ」と言われたりすることがあります。もうひとつは、見るというのは愛情表現だという見解があります(笑い)。相手の方の目をじーっと見ながら自分のこころの中に浮かんでくるその方への思いをどんどん言葉にして15分もすると、2人は無二の親友になるという実験です(笑い)。
ところが例外のない規則はないというように、第一印象がいやだと思った人とそれをやると、ますますいやになるという報告もあります。いずれにしても“目は口ほどにものを言い”というように、デイトしたときに相手をじっと見ると、何も言わなくてもこころが伝わったという経験をお持ちでしょうし、どうも女性のほうが相手の男性の目をじーっと見るという性差があるといわれています。いずれにしても見るということは、ただ情報を集めるだけではなく、いろいろな意味合いがあります。